#ネタバレにならない程度に世界観と舞台設定
・ずっとアルプススタンドと、屋内のどこかの2箇所で物語は進む。
・役者は5人。ルールを知らない女子3人と元野球部の男子一人と先生。元は4人劇だったみたい。先生がいないのかな。
・甲子園出場する母校を応援しにきましたが女子3人はそんなに応援する気なさげ?
・野球分からん人は”エンドラン”、勉強しとくといいかも。
・実は役者以外に何人か名前が出てくるんだけど…
【当日券情報】
「#アルプススタンドのはしの方」
当日券を販売いたします!⚾︎6月15日(土)13:00公演
12:15より当日券の抽選開始
⚾︎6月15日(土)18:00公演
17:15より当日券の抽選開始▼詳細はこちらhttps://t.co/vwoAfdjbCW
ご来場、お待ちしております! pic.twitter.com/5YSjs0jfwB
— アルプススタンドのはしの方 (@alpsnohashi) June 15, 2019
#叫ばずにはいられない理由
僕らは声を出さなくても応援は出来る。心の中で、小さい声で、バットを振って、手を叩いて。
それでも僕らが声張って、喉をカッスカスに枯らしながら選手を応援する理由はなんだっていうのだろうか。
「叫ばずにはいられない」からだ。
そもそも僕らは何のために選手を応援するのだろう。応援なんて、届かないかもしれない。届いてないのかもしれない。届いたところで試合してるのは選手で、声は声でしかない。
相手に勝てるか負けるか。それは選手次第であって、応援しているチームを勝ち負けの場から逃がすものにはなりえない。
しょうがない。もともと勝つ人は勝つ。負ける人は負ける。応援したってしょうがない。…のだろうか。本当に?そこで熱血教師が飛び込んできて「しょうがないことなんてあるか!」と喝を入れてくれるかもしれない。それでも「しょうがない」からは逃げられない。
応援したいから応援する。その構図の中にある気持ちは一方通行のものにほかならない。相手を思うけど、たくさんある声の一つにしかならないことのほうが多い。声が届かないことも多いだろう。
わたしは野球観戦ができない。球場に行くときは絶対に外野席、応援団の近くと決めてる。そうじゃないと声を出しづらいと思っている。なかなか応援団が近くにいないと声出しづらい雰囲気が漂っているものであり、一人だけ叫んでた時の空気の浮きようが辛い…。
外野席じゃない時一番声を出せなくて辛いのは、選手に声をかけたい時、応援する声を叫びたい時っていうのは選手をほっとけないか、思いを託してるかのどっちかしかないからだ。その時に自分は何も出来ないということの無力感はなかなか苦しいものがある。
そうだ。結局の所上にも書いたように、声出して応援したところで試合に参加するのは選手でしかない。
無力感とかそういう次元ではない。何も出来ることなんて無い。けれど選手がエラーをしたなら、お前は一人じゃない、大丈夫だぞ!って声をかけたくなる。
選ばれなかったりその舞台に立てなかった自分の思いを彼らの背中に預けてしまう。
もし彼らが報われたり活躍することがあったなら、何かが起きたなら!きっと無駄じゃないって、無駄だと思えることも全然無駄じゃなかったっていう物語を受け取りたいのかもしれない。
そうだ、結局の所自分が叫びたいだけなのかもしれない。自分のために応援するのかもしれない。
その選手が頑張ってくれたなら元気をもらえるから。
報われてほしいから。そしたら自分ももっと頑張って行けるから。その時ここにいることが、全部何かにつながるって信じられるだろう。
けれどもそれは全て結果的にそうなる、という話だと思う。
僕らが喉を枯らして彼らの名前を呼び、頑張れ!と叫ぶ瞬間は、その声に純粋なガンバレ!って気持ちしか入ってないんじゃないか。
だってそんな打算とかは全部座席下のカバンの中に置いてきてしまったはずだ。その瞬間の僕らは「叫ばずにはいられない」のだ。
それがやるべきことだと思うし、できることはそれだけだ。
そのときちっとも「しょうがない」ことなんてない!
#アルプススタンドのはしの方
高校生が演じる、アルプススタンドのはしの方はきっとたくさん大人を感動させるだろう。
「青春ってこんなんなのかな」って言う高校生は甘酸っぱくて切なくてしょうがないだろうな、と思う。
では大人が演じる、アルプススタンドのはしの方は?
「青春ってこんなんなのかな」ってセリフを、今青春、くらいの年代の大人が言う。それを演目として演じる演劇部の学生さんたちが見に来ていた。(演者の誰かの母校らしい。先生に質問してしまったら教えてくれた…)
もともとこの舞台は4人劇、兵庫県立東播磨高校の演劇部が第63回全国高等学校演劇大会、最優秀賞を取ったものだ。脚本は顧問の先生らしいが・・・
高校生がこれを見てどう思うんだろう、という気持ちになった。演技として見に来ただけなのかもしれないが、それ以上の何かを受け取っていたら素敵だと思った。
そして彼らがいつかまたこの劇をやるということが、また大人を感動させるはず。
大人と高校生の間で不思議なコミュニケーションが起きている舞台、それが「アルプススタンドのはしの方」なのではないだろうか。
この感想記事、あらすじに思いきり触れている内容が下書きにはあったのだけど、大人と高校生の間のその関係性を壊してしまうことにつながるくらいなら…と思って書かなかった。
#気になった箇所
・「人生は三振だ」「人生は送りバント」
先生の台詞。さっきと言ってること違うってツッコミが入る。
どっちも、だよなあ。と。
・矢野くんは才能がないのだろうか。
いつだってそう。Aということに対して才能が全く無いけれど、Aということが大好きでしょうがない、ずっと努力し続けるやつが最強だ。それ、才能なんだよな…
・ほんとに暑そう
演者が何度も汗を拭く。藤田の飲んだコーラが置かれたまま。
コーラのペットボトルが汗かいてるのが”見えた”。
石原壮馬は本当に汗かいてた。実際に使われている高校野球の応援歌が流れていることも、臨場感を増している。割と最近の曲が多くてびっくりした。
・そのおーいお茶の味、どんな味すんだろうな。
レポート、よろしく。
・園田のその後
野球がほんとに好きなんだなって。なんとなく、ハンカチの人を思い出した。
・この劇、目線が大事。
冒頭の宮下の目線。ピッチャーマウンドしか見てない。
フライが上がったときの目線。フライの弾道があなたにも見えるはず。
藤野の目線の泳ぎっぷり、からの…
・原作に無いシーンがあるとしたら
演者が大人っていうのが生きてくるんだろうなと。私はあのシーン大好きです。
・あすは。
「しょうがない」はその時から口癖なんだろうなと。藤野の「正しいよな」って正しいって誰かに言ってほしかったやつだよなあ。
・園田と○○
絶対こいつら別れる。園田は野球しか見てねえだろ!間違いないって!
・9回裏の後、最後のあすはのセリフ。
サイコーに気持ちいいな、その青春色の感情。
・藤野くんが叫びだす時
自分に向けてでもあって、でも「お前は俺じゃないだろ!お前はすごいんだろ!」みたいなニュアンスでもあって…熱い。
「もっと声出そうよ!」
この言葉全てに青春が詰まってる。今しかない今を全力でやる。後悔なんて、きっとない。
・藤野くんが脱ぎだす時
なんだよ。迷ってたのはお前じゃないか。
応援が必要だったのも、応援するのも。
でも最初からきっと答えは決まってたんだろう。
藤野くんが熱くなったとき、私の涙腺はぶっ壊れてました。
・石原壮馬
あんまり動きがない舞台、と聞いてたんですが、とんでもない役だと思いました。
やっぱり人を泣かすのがうまい。涙で前が見えなくなるのは久しぶり。
総評
見に来てよかった!!!!!!!!!!
ありがとう!!!!
野球好きなのもあってぶっ刺さりでした。
どうでもいい話
ソルティライチ、飲んだのか確認せずに捨てちゃった。
記憶がおぼろげで、本当に飲んだのかどうか思い出せない…けど、味は美味しかった…ような気がします。
もう確認できなくなってから気が付きました。青春ってこんな感じなのかもしれない。#アルプススタンドのはしの方 pic.twitter.com/CWMiqNDYUR— 赤雪すずみ@エモ屋 (@ustes_ikes) June 16, 2019
なんか勝手に青春してた。
参考資料
mixiでの高校版「アルプススタンドのはしの方」感想記事。
兵庫県立東播磨高等学校『アルプススタンドのはしの方』初演の講評レポート
浅草九劇
野球大好きなんですよ。いろんなオタクの人にも楽しんでもらえる。
応援の楽しさもわかってもらえるかと思うのでこちらの記事もぜひ。
この2つの記事はドリフェス!の方向け。
こんな企画やっています。