2021年9月21日に「元祖女性声優現場系原曲アニクラLOVE.EXE★12周年記念すぺしゃる文化祭!!」が開催。そのイベントレポートを書いたのだが、公開まで4ヶ月以上経ってしまった。なんでそこまでかかったのか、という背景から正直に書いてしまうことにした。
記事が遅くなった理由
正直な話をしよう。この記事は本当に難産だった。この文字を書いている瞬間にはおそらく数十文字しか書くことができていない。
この記事は誰に向けたものなのか、えぐぜというイベントをどう捉え、表現すべきか…考えれば考えるほど、複雑に絡み合っていく。それら一つ一つをほぐして最低単位の小ささにしようとしているのに、情報というケーブルはこんがらがって毛玉みたいな形になっていく。
そうして作業に入っては情報とやりたいことでできた思考のスチールウールを眺め、手を出せずに退散する。
もちろん他の作業はほとんど進まない。やりたいことはそこに置いてきてしまっているからだ。
私は何がしたかったんだっけ?
それでも引き受けた記事はなるべく進める。それもガラルサニゴーン(鉢植えのサンゴおばけみたいなポケモン)が歩くみたいな速度でしか進められなかった。
最初に思考のスチールウールが出来てからフラストレーションもその部屋に堆積しているから、それを運び出す作業もしなければならなかった。手段としてはゲームがそこにあてがわれる。罪悪感を抱えながら進めるゲームというのは、それほど楽しいものではない。
自由でもない状況でのゲームは幸福感も達成感も少ない。そうして時間に追われながら3ヶ月近くが経った。
やりたいことと、業務としてやることの分別をつけよう。そういう話題が偶然に出てきて、今この文章を書き始めることができた。
こんがらがっているなら、こんがらがったまま出してしまえ。元より個人の視点で書かれたコーポレート風の記事を目指しては来たけれど、書きたいように書けばいいのだと気づいた。書こうとしているものも、決して簡単な一本の線にほどくことができるものではないのだ。
苦悩した3ヶ月を無駄だった、と言って総括できるほど私の心は強くはないし、私に寛容にはなれない。
苦悩もコンテンツにしてしまえ。それは事実として存在したのだから。私が書きたいように書いていけないはずがない。大人だからで感情を置いてけぼりにするのはこの記事にはふさわしくない。
今も大切だけれど、大人じゃなかったころの感情や記憶を大切にしたい。風景も空気の匂いも時代はみんな変えてしまう。そこに抗ったり、思い出したり、それ自体を楽しんだりするのは、悪いことなんかじゃないはずだと”ここ”で学んだ。だから”ここ”へのラブレターを書こう。
LOVE.EXEというイベント
12年続くアニクラがあるって言ったらあなたは信じる?そう聞かれて、イベントをやろうか迷っていた2015年くらいの私はこう答えるだろう。
いや頭おかしいんちゃうか?イベントなんて個人がやるなら数回や数カ月で精一杯、なのに12年?正気の沙汰じゃない。出来るとしたら本当に奇跡みたいなことだし、ついてくる人いるの?
2022年、令和の私は2015年の私にため息をつく。
12年というのは大学生が30歳になる年月で、小学生は成人する。それだけの年月を経て愛され続けるアニクラは、あるのだ。
そのアニクラは、参加者の年齢層が高い。アニクラという概念がなかった頃に始まったアニクラには古のオタクたちが集まった。
自分たちを「老害」とか、「ここは老人ホーム」と行き過ぎなくらいに謙遜した表現をする彼ら。00年代も、90年代も、彼らの黄金期だ。少し、ってレベルじゃないほどの人数が80年代のアニソンが流れた瞬間様子がおかしくなる。たちまちフロアは大爆発だ。いまどき流行りの曲もしっかり流れるけれど合間合間に挟まっているちょっと古めの曲のイントロが聞こえた瞬間が楽しくて愛しくてしょうがない。
古のオタクたちの洗練されたヲタ芸。”現場”でやったら怒られるようなヲタ芸……頭がおかしい動き(褒めています)をする時、彼らはまず隣を確認する。間合いを、見るのだ。人がいればコンパクトに。誰もいなければ全力でダイナミックに。もちろん、誰にもぶつからない。誰にも迷惑かからないけど、厄介とか迷惑とされるヲタ芸を綺麗にやってのけるオタクを見て、リスペクトって感情だっけ?って思考に陥る。頭の中にリスペクトが溢れてくる。
そこまでしてヲタ芸打ちたいか!と感じるかもしれないが、そこまでして、ヲタ芸を打ちたいのだ。それがここは許される場所でもあるし、隣の誰かを許す場所でもある。ゆるしの根っこにあるのは愛だ。
彼らが愛しているのは曲と、女性声優と、オタク文化と、”LOVE.EXE”という場、そしてここにいる仲間たち……だと思う。
オタク馴染みで同族で、顔を覚えてしまうほど会ってきた仲間たちが確かにここにいる。
けれど、はじめましての人もその中に暖かく迎え入れることができるのは、そうしなければ世界は閉じられてしまうことをここにいる誰もが知っているから、かもしれない。もしそうなら、きっとそれはオタク文化を知っているだけじゃなく、そうなった場所をこれまでに見てきたからだろう。その点で分別のついたオタクたちがここに集まっていると、私は考えている。
これだけの暖かさを持った場所だから12年愛されてきた。
会場も何度か変わった。嬉しいことも、悲しいことも経験しながら、主催者のなごむさんは参加者やスタッフに支えられながらここまでやってきたと語る。何度かお話は聞いてきた。
私が出会ったのは2016年あたりの6年前だけれど、イベントの雰囲気はずっと暖かいまま続いていた。コロナでなかなか開催できなかった”LOVE.EXE”は、2021年に休止、期間はコロナが落ち着くまで、とアナウンスされた。
今回でもしかしたら最後かもしれない。”LOVE.EXE”という場所があったことを、いつかまた開催されるとき、誰かに行きたいと思える形で伝えたい。そう思ってレポートスタッフとして参加した。その結果が冒頭のこんがらがりようである。大きい感情を言語化するのは時間と根気と粘り強さが求められる。
“LOVE.EXE”のレポートってほんと難しい
“LOVE.EXE”での出来事をレポートするのは難しい。
開場前、スタッフとしてサウンドチェックの音源を聞いた。コロナでイベントがどうなるかわからない状況での開催だった。生命あふれる低音。叫ぶような高音。スピーカーから鳴り響く鼓動のような音たちに、きっとこれは狼煙だな、と思った。エンタメもアニクラも、本当に命がけでやっている。生命が音を求めているから、つらくても鳴り続ける。11:49。テストで流された桃井はるこの曲は感傷的すぎた。
客入れが始まってから、なごむさんの12年目コールで”LOVE.EXE”は開演した。
ここでは1曲1曲がフルサイズで流れることが少ない、つまり出来事の展開が早い。とにかく早い。だからすこしおぼろげだけど覚えていることを書いてみる。
デ・ジ・キャラットのOPは流れるし、ハートキャッチプリキュアのEDがかかったらアニメEDのダンス完コピするオタクが大量にいるし、堀江由衣も田村ゆかりも流れる。
懐かし目の00年代の曲を、っていうレギュレーションは粉々に吹き飛んでトップをねらえ!のガンバスターがかかったかと思えば林原めぐみがかかる。突然大人なグッズが何故かプレゼントされるじゃんけん大会が始まる。(なぜか景品提供があった)
VJの方がDJとして乱入してこれから流すのアニソンと昭和歌謡どっちがいい?って客に聞くアニクラを初めて見たし、昭和歌謡!って客のほとんどが答えるアニクラも初めて見た。
中島みゆきの空と君のあいだに、が本当にかかってしまって「空と君の間には今日も冷たい風が降る、君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」(俺もー!)というコールが入るアニクラは正直腹筋が捩れる。おまけにInnocent starterでオタクが膝を抱えだす。すばらしい。
きんにく氏の投稿したセトリ。雰囲気が伝わってくる
ハム・きんにく・ネコビート・VJろくます・みや の5人のDJによるプレイが終了すると、流れるのはイベントタイトル曲のLOVE.EXE(桃井はるこ)のイントロ。あっという間に楽しい時間というのは過ぎていくというのは本当のことで、もっとこの場にいたい、という感情で胸はいっぱいになる。
LOVE.EXEは温故知新でできている
イベントの終わりにこの曲が流れるたび、温故知新、という言葉が私の頭のどこからか浮かび上がって、会場にあふれかえるウルトラオレンジの光に消えていく。
故きを温めて新しきを知る。昔を大事にしながら新しいものを知っていきたい。新しいものの大きくて強い波に大切なものを押し流されてしまわないように、どこかに行ってしまわないように。さんざん騒いだあとにそんなことを考えるとすごく切なくて涙が出てきそうになる。そうやってこのイベントは続いてきたんだと思う。
閉会式のMCは名言だらけだった。
「EXEなくして人生語れず」「人生でEXEだけは一緒にあった」「アニクラ以上の何か」「やめたいからやめるわけではない」「好きなんですよ、このイベント」。
「顔ぶれが変わってない。みんな年をとった。みんな大好きだぜ」。
「シンタローザさんの金で飯が食いたかった、から始まった。落ち着いたらまたやりたい」。
「ただで飯食えるから、から始まった」。
「流れていたスラムダンクの曲でおもしれーところだと思った。」「こんなに長いMCなのに客が帰らない」「推しの次はあってもえぐぜの次はない、そう言ってくる客がいる」「ここは現場というのが正しい」
閉会後、参加者がハケたあとは撤収作業を手伝う。
するりとLOVE.EXEは休止状態に入った。私が会場に気持ちを置いてきてしまっていた事に気づいたのは、それから4ヶ月後、つまりこの記事を書いている時だ。
LOVE.EXEへのラブレター
あのウルトラオレンジの光を浴びた夜、こっそりと開かれていた参加者のTwitter/Spaceに入って参加者たちの声を直接聞いたりしていた。
そのやり取りの一部を書かせていただく。
ーーEXEはどういう場所でしたか?
「EXEは二郎とかそういう、ここにしかないものを取りに来る場所」
「なごむさんが声をかけてくれた。その輪に入れてくれた」「また来たの?と言ってくれた」
「オタク芸をするのにでっかいフィギュアを持ち込んだオタクがいた、ステージに大荷物持って駆け出すそのオタクを見てみんな道を開けてサポートした」「自分、友人がたのしければそれでいい、なんてことがない」
「みんな知り合いで、80人いたら誰かが誰かの知り合い」「初めてであってもコミュニケーションの質が変わらない」「内輪だから、というのが存在しない場所、そんな場所は世界中なかなかない」
「高まって楽しむのも、高まってる人を見て楽しむのもできる」「床になる人が来たら床をみんな用意する。誰にもふまれないし蹴られない。スペースの取り合いとかにもならない。お互いを尊重することができているから。やってくれるってみんな分かっている。こうあってほしい、が気持ちいい形でお互いやれている」
ーーLOVE.EXEが休止になったけど、みんなどう捉えているか、さみしさはあるか。
「ここで終わりじゃない。ここで知り合った人とこの先も関係が終わらない」
「12年顔つき合わせるオタクの集まりなんてめったにない」
「必ず次があると信じている」
「いつか復活のその時は来る」
「話せる人が増えていくのは楽しくて、会えないと寂しい」
「なごむさんがきっと一番寂しい。一度休止したけどやるって言うのはそんなに時間がかからなかった。だからまた待っていようと思う」
「全く寂しくはない。このつながりは残っていて、消えるような弱いものではないから」
「この状況はしんどいのがわかるから、寂しくない」
「行動力がたくさんある人がEXEを引っ張ってきた。また何かできる。また何かあると思う。きっとみんな集まってくる。きっとみんなポジティブな気持ちでいる」
「少しさみしい。だからこうやって話している」
続きを信じて待つSpaceの人たちの言葉を、数ヶ月かけて整理して出てきた私の気持ちはこういうものだった。
寂しい。本当に素敵な場所だったから。
寂しさを受け止めるために誰かと話すことが必要だった程度には寂しい。
だけど、これが最後だから寂しいのではなく、次がいつになるかわからないからこその寂しさだ。それもこれも、次があるって確信しているから生まれる寂しさだ。
だったらそのまま受け入れたい。寂しいけれど、嫌な寂しさではない。それまで土産話をたくさん用意しておきたい。オタクとしての格を上げておきたい。そのためには健康に。毎日を一生懸命にやりきって、笑顔で会えるようにしておきたい。
ようやく向き合えたウルトラオレンジの光の記憶。煌々と輝くオレンジの灯火に照らされたあの場所が帰ってくるまで、毎日楽しみに待っていようと思う。
はやくその日が来ますように。
皆様、ご健康でお過ごしください。また会いましょう。
もしこの記事を読んで興味を持ってくれたまだ見ぬあなた。よかったらえぐぜ公式Twitterをフォローしておいてほしい。いつか来るその時、UO一緒に折ろうね。
イベントのツイートをまとめたtogetter(きんにく氏による)
こちらは10周年のときのイベントレポート。
公式マスコット?のEXEくんのLINEスタンプも発売中。