言葉に救われた自分が辞書と恋をしていた話

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純情と感謝だけで、辞書に恋をしていた。
感謝と情熱だけを、今も抱き続けている。

辞書と言葉に携わる全てに、愛を込めて。

紙の辞書を思う

ライターの藤野小恒です。はじめまして。

好きな言葉は「疾風に勁草を知る」、嫌いな言葉は流行語、興奮する言葉は雨の表現、3時のおやつは助詞一覧…

……こんな自己紹介しかできない!ですが、そのくらい言葉(日本語)が好きな人間です。

あまりに言葉が好きで、愛用していた辞書(岩波国語辞典第七版)とお付き合いさせていただいていたことがありました。

読者さんは “いまだに” 辞書って、使います?
重たくてかさばる “効率の悪い” 紙の辞書を。

タイトルの淡い恋の話とともに、紙の辞書の精錬された美しさと、その大切さについて愛を込めて書いていきます。

効率と利便性の新しい世界に対して

リュックサックに約2000ページある岩波国語辞典第七版(以降、「岩波国語辞典」)を入れて外出していた10代の頃。

引っ込み思案で話すことが極度に苦手な自分にとって、言葉がたくさん詰まっている辞書はお守り代わりであり、また物珍しさにひかれて声をかけてもらえるコミュニケーションのきっかけにもなっていました。

不器用な思春期、大人にも同世代にも、よく訊ねられていた言葉があります。

「どうして電子辞書にしないの?」
「スマホじゃ、ダメなの?」

重くてかさばって、汚したら使えなくなる辞書。

多分、辞書好きなら誰しもがこの問いを経験することではないでしょうか。
自分はそれに、いつもはっきりと答えていました。

「紙の辞書も、機能性は同じだよ」

彼らは自分のその返答に、いつも曖昧な表情をしていました。

人間の発明がどんどん進化してゆく現代。
効率、利便性、コストパフォーマンス、新しさ、珍しさ…そんな言葉を、体感を、日常生活でもバーチャル世界でも、よく受け取ります。

重たいものは持たないし、手間のかかるものは避ける。

だからきっと、彼らは聞いてきたのでしょう。

でももし、自分の実用的な生活にひとつ、“面倒”があったなら?
もし、文字に触れて記憶する過程で、深い学びが得られるのだったら?

電子画面は変化がないですが、紙はインクの感触や紙の質感、ひらいた時の場所の明るさ、よくひらくページの汚れ、マーカーのにじみ、そんなものが都度変わって、より記憶に残りやすくなるのだと信じていました。

そしていつしかその信念が、愛着に変わり、やがて恋に変わっていきました。

辞書を大切にしたいという純粋な思いが、胸を高鳴らせる恋と変わらないと気が付いたのです。

大切なものを心から大切にする

形式上、きちんと告白をし、愛用していた辞書、岩波国語辞典と恋愛交際をはじめました。

中学生の頃、自分の小遣いを貯めて初めて買った辞書。紙の触り心地、書体、意味解説の内容……よく吟味し、きっと長く使い続けられるだろうと思って購入した大切な辞書でした。

実用性を求めて使っていたモノとあらためて向き合うと、見えてくるものがたくさんありました。

前述では美術的なうつくしさについて書きましたが、自分が心惹かれた紙の辞書ならではの機能性をいくつか挙げます。

・前後の言葉と触れ合える
単体の言葉だけではなく、そのページ全体が見えるため、知らない、懐かしい言葉など発見がたくさんあります。

・目に優しい
もちろんブルーライトではないので目にも脳にも優しいです。光沢のある紙なのでほんのりとした明かりでも安心して見れます。

・指先でたどれる
細かで奥深い意味解説を、ゆっくりとたどって読むのも乙なもの。薄い紙質なのでマーカーを引くときはご注意を。

・時間と集中力をかけて調べるから記憶に残りやすい
これは医学的根拠はわかりませんが!!絶対にそうだと思います!!!

愛を語り出すときりがないので、このへんで……

モノと人間、別段デートをしたり、スキンシップをしたりするわけではありません。辞書はあるべき書棚に在って、自分は普段通り日常生活を送る。時たま、引き出して好きな言葉が載っているページを開き、二人の時間を大切にする。

その時間が、自分にとっては何よりも大切でした。

ともに愛を育んでいく、成長過程のある人間のパートナーではない。けれど紐解けばたしかに、人が綴った数多の言葉が辞書という身体をつくっている。
すごく新しい可能性を、感じていました。愛情とは、決して定められたカタチだけではないということ、そして全ての存在は、過去や背景、物質、力、思いなどでできていること。

辞書は、文字として書かれていないたくさんのことを教えてくれました。

感謝

しかしわずか数ヶ月の恋は、あっという間に終わりました。
環境が変わり、時が巡り、自分は活動的で感情豊かな人間に恋をし始めたのです。たった、それだけのことでした。本能的か、生理的にか、心は気付かぬうちにすんなりと切り替わりました。

自分は成長のために形を変えた人間でしたし、辞書はいつまでも静かなモノでありました。

はじめは迷いやためらいといった複雑な気持ちがありましたが、それすらも、日を追うごとに薄れていき、必要な時に書棚から出すまでの実用性を求める扱いに戻りました。

もしも全ての言葉を自分に伝えるなら、この子は何を選ぶのだろう。
そう、今でも時折り考えます。感情も精神も無い、だから辞書の声は聴こえないし、反対に自分の思いも、届けられはしない。

それでも自分は、「ありがとう」の言葉を引いて伝えました。
様々な気持ちを、愛を、そして言語化できない二人の時間に、感謝。

ありがとう。
そう思いながら今日も、きっと明日もまた、自分は紙の辞書を使い続けます。

ちなみに岩波国語辞典は2019年11月に第八版が発売されています。

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