「平成のゲーム 最高の1本」はクロノ・トリガーかもしれないけど、
”平成を象徴するゲーム“ではないんじゃないか。
じゃあ勝手に決めちゃえと思った。平成生まれが平成ゲーム史を勝手に語ります。
こういう記事があったわけです。ツイッターにもトレンド入りした。
ゲームファン7100人以上が選んだ“平成のゲーム 最高の1本”、第1位は1995年発売の『クロノ・トリガー』に!
発表当時、発売当時を体感できた世代はそりゃもうファイナルファンタジーのスクウェアとドラゴンクエストのエニックス、さらにドラゴンボールの鳥山明先生!今で言う神コラボ!!!って大事件だった。ゲームシステムもストーリーもグラフィックも最高峰だった。
…だがクロノ・トリガーに投票した人はドラゴンボール世代、昭和生まれの人が多かったんじゃなかろうかと推測する。
直撃世代は平成生まれではないのではないか。この辺でゲームを卒業していった人もそこそこいたんじゃないか。
“平成のゲーム 最高の1本”というより”最後に遊んだ最高のタイトル”だったんじゃないか…?なんて事も考えてしまった…。
なおかつ、ファミ通ドットコム のトップページのこの並びである。
クロノ・トリガーのサントラの記事が続いている。
絶対大人の事情だろ!!!!!マーケティングだろ!!!!と感じてしまったのだ。
ファミ通さんには推しを推してもらった恩を感じているが、
大人の事情は大人の事情である。取引先とか、いろいろとあるはずで…
そんなわけでしがらみが薄い当ブログではこちらを発表することにした。
順位はつけない。
平成元年生まれのゲームファン一人が選ぶ”平成を象徴するゲームたち“
- ファイナルファンタジーVII(1997年1月31日)
- ポケットモンスター 金銀(1999年11月21日)
- ストリートファイターIII 3rdStrike(1999年5月)
- ファンタシースターオンライン(2000年12月21日)
- コールオブデューティ4 モダン・ウォーフェア(2007年12月27日)
- ストリートファイター4(2008年7月18日)
- モンスターハンターポータブル 3rd(2010年12月1日)
- ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド(2017年3月3日)
- 大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL(2018年12月7日)
- ストリートファイターV タイプアーケード(2019年3月14日)
平成を象徴する、という点で選んだこのゲームたち。
その選出理由の話をしたい。
平成ゲーム史はいくつかのキーワードが大きく関係していると考えている。
そのキーワードとは、「グラフィック」「携帯機」「オンライン」「ソーシャル」の4つ。
言い換えると平成ゲーム史は、グラフィックの時代であったし、携帯機の時代でありオンラインの時代であり、そしてソーシャルの時代だった…良くも悪くも。
順を追って私の視線で説明していくからじっくりついてきて欲しい。
90年代、進化が早すぎて先が見えない
ファイナルファンタジーVII(1997年1月31日)
ドット絵から3Dを使ったものにグラフィックが進化していく時代だった。
それまでドット絵だったものが3Dになってった。ムービーも美麗だった。
今から見ると荒削りだけれど当時からすると目が飛び出るような進化だった。
それまでのゲームと全く違う何かが出てきたぞ、という期待感や新しさがそこにあった。
だからこそうちのオカンは家族には内緒でプレステと”FF7”をファミリーマートで予約して受け取ったし、もちろん父にバレたらコントローラの奪い合いになるくらい熱中していた。
二人ともそんなにオタクじゃなかった。
あのころたくさんの人がゲームを始めたし、ゲームに世界や未来を感じていたと思う。
次はどんなふうになるんだろう?
そんな想像も毎回いい意味で裏切られることばかりで、未来の想像なんて出来ないと笑っていた。”FF8”、”FF9”もすさまじいグラフィックだった。
学校に行けばみんなFF9のタイトル曲をリコーダーで吹いて遊んでいた。
それくらいにはみんなやっていた。
ポケットモンスター 金銀(1999年11月21日)
気が付いたらファミコンとスーパーファミコンがある家庭に育った私が最初に手にした自分のゲームハードはゲームボーイ。
一緒に渡されたのは”星のカービィ”。そんな私がどうしても欲しいとせがんだのが”ポケットモンスター赤・緑”だった。単純に楽しそうからとかじゃなく、クラスの子が持っているからやってみたかった。
幼稚園生年長の私はポケモンにゲームを通じたコミュニケーションというのを期待していたんだと思う。
あの子はリザードンがパーティにいたけど私はフシギバナがパーティにいた。
私のパーティやポケモンの世界は私のゲームボーイの画面の中のみに存在している。今思えばそういう感覚が物凄くおもしろかったし、携帯機としての強みを活かしたものだったと感じる。
ポケモンの交換はそんなにしなかったけど、それでもポケットモンスターを知ってるということ、遊んでるっていう事自体がゲームだった。だってそれで話ができたんだもの!
私のパーティとあの子のパーティが違うということ、それは攻略方法が変わることも意味している。
いろんな人がいろんな遊び方をしていた。
携帯機というハードのプライベートさと、対戦や交換というコミュニケーションから生まれるゲームの外側、ソーシャルな要素があった。
子供も大人も夢中になれるからこそ今も新作を幅広い世代が遊んでいるのだろうし、ポケモンGOに至っては今までポケモンに触れてこなかった年齢層の人たちが楽しんでいる。
ポケットモンスターこそ平成を象徴するゲームシリーズだと私は思う。
その中でポケットモンスター金・銀を選んだのは、TVアニメやカードゲーム、いろんな露出があっていちばんインパクトの大きいタイミングで世に出たタイトルだからだ。
プレイ後のあの大きすぎるお楽しみ要素も、先の見えなさや楽しさに繋がっているはず。
ストリートファイターIII 3rdStrike(1999年5月)
アーケードのタイトル。私はこのタイトルを稼働初期に触れることはできなかった。
それでも今こんなに”eSports”って言葉が大きくなり、そんなふうになるまで期待を背負わせてしまう理由っていうのはこのゲームの大会で撮られた、あの動画が原因だろうと思う。
この動画がなかったらeSportsって言葉は今生まれてないかもしれないし、それに伴って歴史はだいぶ変わってるんじゃないだろうか。
当時10歳だった私はいまになってこのゲームの移植版をアホほどやっている。
このゲームが持っているドラマ性、エンターテイメント性がめちゃくちゃおもしろいからだ。それを知るきっかけになったのはそれはあの動画のせいでもある。
動画が撮られた大会というソーシャルな場所、ニコニコ動画やyoutubeというソーシャルな動画サイトが存在してなかったら私はこのゲームの面白さを知ること無く過ごしているだろう。
00年代、オンライン要素、ネットという劇薬
ファンタシースターオンライン(2000年12月21日)
XBOX版を遊んでいた私。
どちらかというと同時に遊んでいたFFXIのほうが思い出はあるんだけど、このタイトルを選んだ。
オンラインで知らない人と遊べる。一緒に冒険できる。衝撃しかなかったのを覚えている。
学校でつまらない同世代の子たちと話すよりも、世間的にはイケてない、それでも私からしたら先進的でイケてるおじさんたちがオンラインにはいた。
たくさんの冒険をしていた彼らはゲームの知識もあったし、日常をおろそかにしてしまいそうなくらいオンラインの日常は刺激的だった。
オンラインに対応するということは人とのつながりが増えることであり、新しい楽しみ、遊びだった。
ラグナロクオンラインとか、いろんなMMORPGが出てオンラインゲームという文化、ジャンルが生まれていった。同時に2chとか匿名掲示板が活発になっていった。
誰でも良い誰かとつながって何かをするというのが面白くて仕方なかった。
誰でも良い誰かから友人になることができたなら、やっぱりそのほうがよかったのだが。
リア充、という言葉が生まれたのはこの辺だったかも知れない。
誰かとつながってるようで孤独な時代の言葉だと思う。
コールオブデューティ4 モダン・ウォーフェア(2007年12月27日)
洋ゲーなんてバタくさくて残虐で変なゲームばっかりだし国産メーカーゲー最高!…みたいな風潮が一気に崩れていった。それをやったのはCOD4だ。
まずグラフィックが凄かった。次世代機としてすばらしいものであったし、演出、脚本はうなるほど素敵だった。ステンバーイ…
オンラインでの対戦要素を含めたFPSや、洋ゲーが受け入れられはじめたのはここだろう。
グラフィックやリッチな内容の洋ゲーに張り合って国産メーカーがしばらくグラフィック至上主義になった面もあるかも…
「国内メーカーだけじゃないじゃん、ふーん洋ゲーもなかなかやるやん」みたいな感じではあったけど。
オンラインにきっと人がいるから新しいゲームを買おう、フレンドが買うなら私も買おう。
そんな感じのノリで新作タイトルを買っていた。
高クオリティなゲームをみんなで遊べる事、仲間うちで遊べることが楽しかった。
ストリートファイター4(2008年7月18日)
元はアーケードのゲームだ。
家庭用ではオンライン上でのランクマッチが対戦格闘ゲームとしてしっかり導入された。
ゲーセンなんていらない!ゲーセンよりコスパいい!何度も戦える!とすら言われていた。
当時、どこもかしこもオンライン要素の対戦要素、協力要素があるゲームばかりになっていた。
人がいなくなる、サービスが終了するとその要素が全く楽しめなくなるようなものも相当数あった。
これは回線品質が高い相手と比較的マッチングしやすく、ラグも少なく格闘ゲームとして対戦に集中することが出来た。
問題は腕前が近い不特定多数の相手とマッチングするということ。
マッチングした相手に負ければ腕前を示すポイントが下がる。勝てば上がる。
このポイントの奪い合いが起きることで、負けは時々とんでもないストレスのもとになった。
連勝して稼いだポイントが一気に負けることで消し飛んでしまうこともあった。
一期一会のマッチングである以上、このランクマッチだけをやっていると同じ相手と連戦するのが難しい。オンラインであるためアドバイスも貰えない。
相手プレイヤーではなくただの敵として対戦することになる。これでは成長もしづらい。多くの場合自分一人でPDCAサイクルを回して効率よく練習していくことが上達には必要だった。
オンライン上で不特定多数と遊び続けることの弊害、みたいなものを明確に感じた人も少なくないと思う。
配信や大会も活発だった。そういったソーシャルな楽しみ方を出来る人、出来ない人で楽しめるかどうかが変わっていた。ゲームにおけるオンラインというものの付き合い方を考え始める時期だった。
それでも人生で一番遊んだゲームはスト4シリーズだし、PC版でマッチングする人にだいたい一度勝利する、というところまで遊んだ。(元々人が少なかった)
モンスターハンターポータブル 3rd(2010年12月1日)
PSPという当時としてはグラフィックが優秀な携帯機で遊べるローカル通信に特化したゲームであり、人対人ではなく人+人+人+人対モンスターという構図はオンラインMMOに近いものだった。一緒に協力して戦う、手伝うということができる。
しかもローカル通信特化(というか単体だとそれしかできない)なので、知り合いや目の前の人と遊ぶことになる。
オンラインを捨てた作りと捉える事もできるだろう。
不特定多数と遊ぶことに疲れていた人、協力プレイを新鮮な気持ちで楽しめる人、そしてCOD4で書いた”仲間で遊ぶ事”を求める人たちに受け入れられた。
携帯機によるソーシャルなゲーム体験がそこにはあった。
オンラインじゃないことによって距離の近い遊びができるということがモンスターハンターポータブル2ndG、モンスターハンターポータブル3rdあたりで示された。
Wiki全盛期でもあり、効率プレイを求める人も多かったことからWikiの攻略情報を見ながら私の周りの人は遊んでいた。だって効率的に動く、装備を整えるほうがみんなの役に立てるから。
攻略本はWikiの丸写しだったりとか、ネットのWikiのほうが詳しかった。
私は他のゲームでもWikiを見て遊んだりと、攻略情報ありき、効率プレイありきのような遊び方になっていった。
けれど、ある時それはゲームの遊び方として正しいのだろうか、とも思い始めた。
なんとなく楽しめていない気がしていた。
10年代、体験が意識される時代
ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド(2017年3月3日)
攻略情報を見ることがゲーム性を損なう、というよりも知ること、見つけること、覚えること自体がゲームになっていた。
だから人によっては最後まで知らないテクニックもあるかもしれない。それでも前に進むことができるならいつかはクリアできる。
これは攻略情報、効率プレイはしないほうが楽しいよ、という任天堂からの提案のように思えた。
オンライン要素はなく、スクリーンショットや動画をSNSにアップロードすることができるくらいだ。それもゲーム側ではなく本体の機能で。プレイヤー個人の世界としてBotWの世界を楽しむことになる。
誰の介入も受けずに冒険が出来るつくりだ。オンライン要素だらけのゲームが増えたこの時代にあえてそのあたりの要素を排除してつくられたことが、そういったものに疲れている人に向けられたもののように思えてならない。
といいつつも、広い世界に放り込まれるいわゆるオープンワールドは人によって全然違う道のり、攻略方法を見つけることになるのでそのあたりの体験の共有はソーシャルな要素として肯定されているように感じる。
大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL(2018年12月7日)
隣にいる友人と遊ぶ、を極限まで楽しませてくれる。
オンライン対戦もある。オンラインにリプレイなどを投稿できる要素も実装された。
けれども私がこのゲームで一番やってほしいのはオフラインで友人と遊ぶ、ということだ。
ステージづくりというステージエディット機能が実装されたのだが、自分一人で作るのも楽しいが、誰かとその場で作ってその場で遊ぶという事がめちゃくちゃに楽しいのだ。
ねぐさん( @Negrescore0)がおもむろにムーミンを書き始めたのを見た私「頭回転させようぜ!」
ステージ曲は名を冠する者たち。
機神と巨神っぽいカラーですがこの巨神は頭が高速回転するので生き物は振り落とされます。#StageSmashBros #スマブラSP #SmashBrosSP #NintendoSwitch pic.twitter.com/qPfiaeTNPl— 赤雪すずみ@エモ屋 (@ustes_ikes) April 21, 2019
もちろんステージ情報をSNSに共有することもできるし、その前段階である”リアルタイム”を大切にする仕組みがこのゲームにはたくさん用意されている。
キャラクターの育成要素、収集要素、それらを持ち込んで対戦することもできる。何よりSwitchコントローラーが2つSwitchにはついてくるのだが、これは4人がSwitchを持ち込めば8人分のコントローラーがその場に存在する事を意味する。
8人でのパーティプレイもできるので、一度くらいはやってみて欲しい。ゲラゲラ笑えるはずだから。
そういう笑える、楽しい瞬間をたくさん用意してくれるゲームが大乱闘スマッシュブラザーズSPECIALだと思う。
ストリートファイターV タイプアーケード(2019年3月14日)
アーケードのタイトル。オンラインに対応した。店舗間で対戦ができるので対戦相手に困らない。
これで平成の終わりにゲーセンの新作格ゲーはほとんどオンラインに対応した。
オフラインが大事にされてきたゲーセンという場。
新作をほとんど入れずレトロタイトルで大会を多く開く個人店も増えている。
ゲーセンというものの立ち位置が変わる瞬間が来ているはずだ。
もしかするとネットカフェに近くなるんじゃないか…と思ってる。
平成元年生まれのゲームファン一人が、”平成のゲーム 最高の1本“を選ぶとしたら
せっかくなので。しかし、…平成生まれ、こんなん実質人生最高の1本じゃないですか。
したらば完全に主観で選びますよ。
悩んだんですが、こちらの1本とさせていただきました。
ゼノブレイド2
赤雪すずみ:グラフィックがRPGとしても超美麗。
赤雪すずみ:ゲームシステムはプレイ、プレイヤーごとにランダム性が生まれるのだが、その分出会えた仲間キャラクター(レアブレイド)には入れ込めるはず。
赤雪すずみ:世界観、脚本は少年漫画ものに近いかも知れない。RPGで泣いてしまった。
赤雪すずみ:人生に疲れた大人にもかっこいい人が好きな子にも愛してもらえるはず。
赤雪すずみ:冒険を終わりたくなくてラスボス前で行ったり来たりしたのは初めて。
赤雪すずみ:気が向いたらすぐ周回してしまう…。
長くなりましたが以上です。
せっかくなので、「俺の平成のゲーム最高の1本」がある方はブログコメントや引用リツイートで書いていってください。
あなたの最高の1本を教えてくれ。