アニメWake Up,Girls!は失敗作だったのか

Wake Up, Girls!

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一時期叩かれまくっていたWUGだが、本当に失敗作なのだろうか。

新章までのWUGについて語っています。

WUGは2ch、ふたばちゃんねる等インターネットの各所でものすごい叩かれてるように感じます…。


初出:2015年12月19日 曇りなき心の月を先立てて

修正加筆移転:2018年10月30日、当ブログに記事移転

追記:2019年9月1日


ヤマカン憎しがWUG憎しなんだろうなあと

叩きの大半がヤマカン憎けりゃWUG憎しといった内容ですね。叩く人たちはそもそもWUGという存在と向き合わず、ヤマカンを叩くためにWUGを見るような、何かを叩くために動いている印象です。

それはそれでコンテンツの消費としてはありなのかもしれませんが、個人的には嫌いな消費の仕方です。

 

だってコンテンツに向き合っていないから。

 

面白ければなんでもいい。そのほうがなんか楽しくないですか???

 

面白い!って誰かが言ったもののほうが安心できる、だから面白いってそれなんのためにアニメ見たりコンテンツ触ってるんでしょうか。時間がない、お金がないで効率良く美味しい取りしたいのだったらアニメそのものを見ないほうが良いとすら思うんです。

 

話がそれました。

 

叩く人はだいたいアイドルマスターや、ラブライブ!といったアイドルアニメと比較して辛辣な評価をしています。だいたい叩くためにそういう武器を持ち出しているというのはあるんでしょうが。

その中で作画が良くない、キャラデザが、というような言葉をよく見かけます。それらの比較対象とされてるアニメが萌えアニメであると断定するようなつもりは全くないんですけど、

多少、アイマスもラブライブも萌え要素を持ったアニメだとは思います。

(この萌え、というのは男性向け要素、媚び、ぱっと見の美しさ、魅力。そういうのをめちゃくちゃに総合している言葉です)

みんな肌色もそこそこありますよね?かわいいですよね?きれいで健康的な色気もある。作画もいい。

 

この記事ではヤマカンさんの人となりは置いておきます。関わられた作品は割と好きです。作品は好きですよ。

まずはWUGって萌えアニメとしてどうなの、ということを書いてみます。

 

WUGは萌えアニメとしては失敗作です。売上も爆死レベル

 

お色気とか萌えとかの男性向け要素を求めた場合。そのときのWUGはダメダメでしょう。何故ならそういう要素をこの作品はほとんど持っていません。その上でそれを求める視聴者や消費者に対し否定的な描写を行っています。

現代にあふれる萌えアニメを否定する存在。それがアニメWUGでした。

 

そんな存在が萌えアニメとしては失敗作という評価にならないわけがない。ラーメン品評会にカレーが出てきたようなもんです。

DVDやBDの売上に関してもかなり厳しいものだったと言わざるを得ないでしょう。赤字にはなっていない、と思いたいですがおそらくは赤字です。

 

劇場版7人のアイドルのライブシーンにおいて

 

あの、有名なパンチラ描写があります。

あのシーンを初めて見た時、何とも言えない…距離感、嫌悪感、居心地の悪さみたいなものを感じました。

 

全体を何度も見てからだと「少女たちの決意や覚悟が込められたシーン」「純粋さ」という印象に変わってきましたけど、あのパンチラは初めて見る人にそういう印象を持たせる意図を持って使われた演出だったのではないか。

「誰が誰かもわからないままパンツ見せられた」って受け取り方をしまして、全く嬉しくない。エロくない。

今時のアニメでお色気要素っていったら視聴者を喜ばせるものですけど、これはその逆です。

よく言われる嬉しくないパンチラというものでしょうね。

有名なTV版2話Aパートにおいて…

Wake Up, Girls!の7人に卑猥な視線を向ける健康ランド利用者達が登場します。

その描写からは、見てて気分が悪くなるようにただひたすら気持ち悪く描こう、という制作側の意図が見えます彼らはWUGのファンですらなく、WUGたちの活動や存在にただただ無関心で、彼女たちを性的なコンテンツとして消費する存在です。

それって何だか上に書いた、WUGを叩く人々と性質が似ています。

きれいであるか、作画がいいか。シコれるか。それが全てです。

 

そういう立場の人は気持ち悪く描写された健康ランド利用者を見た時、すごく嫌な気持ちになると思うはずです。露悪というより嫌がらせを受けたような気分になるでしょうから。

WUGの7人は白い水着を披露することとなりますが、この回をサービス回だと見た人は絶対言えないでしょう。

ここの彼女たちは可哀想とかそういうのが先に来て全然エロくないし萌えもないんですから…(一応劇中だとエロい言われてますけど)

 

このシーンは、決していきなりこのシーンを思い付きでやろう!って出てきたわけじゃなくて、この作品の全体像として立ち位置を表すものとして、どこかで入れないといけないシーンだったんじゃないか。

WUGにそういう記号的な萌えやお色気要素を探しても見つからないよ、そういう目線で彼女たちを見ないでね!そういうのは正直キモいよ!というメッセージをこのシーンで伝えたかったのではないか、と私は解釈しています。

 

このアニメは、可愛い女の子が楽しく過ごすだけの可愛いアニメとは秋葉原と月くらい遠く離れてます。

そういう目線、そういうものさしでしか見れない時、WUGは駄作であり失敗作という評価にしかなれない。(私はラブライブ!はTV版1期2期劇場版と見ましたがアニマスは見てないです。そのうち絶対見ます)

よく比較されるアイドルアニメというカテゴリーにおいてもWUGの評価はものすごく低いです。

 

作画が悲しい事になっている箇所が多いのです。その上、

 

この作品においてライブを一曲まるごと歌い切るまで続くライブシーンは存在しません。

 

作画リソース的な問題もとても大きくあると思います。製作時のゴタゴタは見てりゃわかります。

けれども、WUGを”アイドルアニメ”として見るな!というメッセージもそこにはあるのではないかと感じました。

WUGは失敗作か。という問いへの結論

私は、そんなことないと思います。

どこかの誰かの心に届くならそれは失敗作とは言えないでしょう。

私の心には届きました。だからそんなことはない。

それが私の結論です。

 

Wake Up,Girls!という作品は本当に素晴らしい作品です。

 

「アイドルアニメとして~」とか、何かと比較するべきではないと思うんです。何かと勝ち負けを競う必要はないはず。売上も非常に低いものでしょう、爆死アニメとか言われる程度にはダメでしょう。

 

でも売上が全てではないはず。

この作品で表現しようとしたことは比較対象としてあがるアニメたちと全然違う方角を向いています。

WUGはアイドルアニメではないし、萌えアニメでもないんです。

 

WUGにおいて重要なパートはライブではなく、その前後にあります。WUGの活動の過程で描かれる人々が希望を取り戻していく物語こそがWUGの本質だと思うんです。

ライブに向けての失敗。すれ違い。それでも前を向いて歩いていく人たちの物語がWUGです。このアニメの主人公はWUGとWUGの関係者、ファンであり、アニメとしてのジャンルはドキュメンタリーあたりになるのかもしれません。

このシーンとか。

WUGは視聴者が自分で考えたときやっと見えてくる体験型アニメ

そういう意味では主人公、とまでは言わなくても視聴者が登場人物という舞台装置になりえます。

 

話全体が視聴者を突き放すようなつくりになってるのも、それを意図したものだと私は思ってます。その意図によって置いてきぼりにされた視聴者は、自分を巻き込んで能動的にならないと絶対楽しめないつくりになっています。

圧倒的に描写が不足しています。そこに意味を求めたり考察をすることで見えてくるものが多いです。担当する声優は新人声優で、現実でも声優ユニットを組んでいます。彼女たちのライブに行ったときにアニメが現実とリンクするといった要素もあります。

 

何もかもごっつごつの荒削りの原石。そういう評価になるWUGは体験型のアニメだと思います。

 

自分で体験した思い、初めて見た時の気持ち、考えて見えてきた事は見てない人には絶対わからなくて、それを踏まえてこの作品を評価した時、初めて正しい評価になるんじゃないかと。

 

私はこの作品が大好きで、今この記事を書いています。ぜひ、WUGを腰を据えてゆっくり見て下さい。感じたこと思ったことは誰かと語り合って欲しいです。

 

そういう意味で一人で観るアニメではないですが、一人でも誰かと見ても面白いはず。違和感を感じる箇所はきっとあるので、検索して考察サイトを鵜呑みにするだけじゃなく、(この記事もですね)

 

自分で考察してみてください。絶対そのほうが面白いですから。

 

トキノドロップのアニメWUGの考察的記事

ここまでが2015年12月19日に書かれた内容を少し修正したもの


2019年9月1日:追記。WUGのそれから

私が心底愛していたアニメWUGは、Beyond the Bottomで一応の物語の決着を迎え、それから空白の期間を経て声優ユニットWUGへ物語のバトンが渡された。彼女たちが新章を掴み取ったのだと思う。彼女たちのために作られた物語が新章なのだと思う。

作画がへちょかったのがまた苦しい話で、大ブレイクとは行かなかった。新章に合わせて開催された”Green Leaves Fes”も低調だった。そのへんが解散のきっかけだったかもしれない。

フェードアウトか、自分たちで花道作って解散するか。そんな選択を提示されたのではないかと思うが、ともかく2018年6月15日に2019年3月を持っての解散発表が行われ、それまでの期間ファイナルツアーが行われた。

全12会場全33公演。常軌を逸した約9ヶ月のツアーの中で声優ユニットWUGは爆発的な進化を遂げていった。

毎公演ごとにワグナーを、新しい客を最高と言わせた。最高は更新されていった。ほぼすべての公演が埋まった。最初は出れないはずだったアニサマに出れるようになったことが発表された。ほとんどのお客さんがAqoursとバンドリ勢だった、完全アウェーのアニサマで多くの人がWUGすごかったねと言っていた。最後になるアニマックスの出演ではWUGが一番だったと多くの人が口にした。

 

 

WUGをバカにする人はいなくなることはなかった。けれどもWUGすごいねと言ってくれる人がどんどん増えていった。12月の公演において悲願であり夢の舞台だったさいたまスーパーアリーナでの単独公演が3月に行われることが発表された。事実上の解散ライブ。

そこにいた誰もが、そしてWUGを叩く人、知っている人、WUG自身。本当に誰もさいたまスーパーアリーナが埋まるという自信がなかった。キャパシティが2000人の会場で公演が続いていた事を知っていた。だからこそ、ワグナーたちも、WUGも必死だった。動画を作った。記事を書いた。ツイートをした。別現場の人が来てくれた。業界人が味方になってくれた。これまで関わってきた周りの人が助けてくれた。ワグナーになってくれた。

そうしてやってきた3月8日、さいたま新都心は沢山の人で溢れていた。

WUGのためだけに集まった13000人が、さいたまスーパーアリーナを埋めていた。初めてWUGを見る人。見に来て欲しいと頼まれて来た人。遠方から交通機関を乗り継いで走ってやってきた人。かつてWUGを追いかけていた人。

まるで同窓会のようだった。アニサマのような一番大きいモードではなかったけれど、それでもSSAはWUGを送り出すための13000人が作る光の花道となった。

 

Wake Up, Girls!の物語はアニメだけでは終わらなかった。アニメはその一部でしかなかった。すべてが繋がっていた物語は声優ユニットWUGが解散することによって区切りを迎えた。

この記事を最初に公開してから以降、WUGが歩んだ道のりはおおざっぱにまとめたら以上に書いたものになる。

 

多くの人にとってアニメWake Up, Girls!は失敗作だったかもしれない。こんな結末を見せたWake Up, Girls!という物語を知って、あなたの中でどんな評価になっただろうか。

WUG、最後はそんなことになっていたのか、とか。

WUG、結構すげーじゃん、とか。

思ってもらえたら、いいなあ。

私はやっぱり失敗作だなんて思えなくて、大好きなんだよな、WUG。この先もずっと。

 

 

SSA上映会がコロナの影響で中止になりましたが、BD同時再生を自宅で行いませんかという企画です

今からWUGに触れるなら?という時の情報まとめ

 

こんな企画やってました

企画一日目。言い出しっぺの自分の記事。

 


蛇足:ヤマカンについて

2019年3月8日を過ぎた今、彼が救われて欲しかったと思う。あんたが作ったのも見たかったのもこの風景だろう、って言いたかった。WUGには彼を救う力が間違いなくあったと思う。けれども彼はあのSSAの場にいる資格を喪失してしまった。京アニの事件のときの言動で、クリエイターとしての「域に達していない」という意味がようやくわかった。わかってしまった。演出の才能があるけれど監督希望の人間は神輿に担がれてしまった。ルサンチマンをこじらせたまま、豊かとは言えないけど鋭く狂った感受性を持って。

2019年9月1日のいま、私には彼が病気の人にしか見えない。彼を玩具にする存在も邪悪だと感じる。病気の人に石を投げて反応を楽しむ者たちも健康であるはずがない。

彼を叩く人も、彼すらも、ヤマカンという偶像から離れて自分の幸せを目指すべきだと思う。そうしないと誰も幸せになれないから。


 

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