2013年7月、大田邦良はI-1clubのDVD、”I-1club全部見せちゃうぞ!”を探していた。
(2017年3月に書かれた記事です)
彼はI-1clubの古参ファンという設定だ。
古参ファンが推しのDVDを持っていないなんてことあるんだろうか???
その彼が推しのDVDを持っていないのは何故だろうか、それを考えてみる。
まずは前提を確認する必要があるだろう。
- 2009年、真夢がI-1のオーディションを受ける。このとき12歳。
- 2010年にI-1として活動を開始。
- 2011年3月、東日本大震災
- 2011年4月、I-1clubメジャーデビューシングル”リトルチャレンジャー”発売
- 2011年6月、DVD,”I-1club全部見せちゃうぞ!”発売
- 2012年11月、島田真夢脱退
(WUGpediaより)
重要なのは、震災後3ヶ月の2011年6月に”I-1club全部見せちゃうぞ!が発売されていること。
2013年7月から考えると約2年前である。
2年前に発売されたDVDをなんでいまさら探しているんだろうか。
また、大田はパソコンで掲示板を見る時、毎回ネットカフェを利用している。(BtBではレストラン)
家にネット回線が引かれていないか、掲示板をアクセス禁止にされている可能性がある。
コテハンなのでもしかしたら叩かれたりしてるのかもしれない…。
アクセス禁止を食らっているという話は面白そうだけど、特に理由がない。
ここでは前者のネット回線がない所に居住している説を考えたい。
ネット回線契約が引かれていない所に住んでいるオタクっていまどき存在するだろうか?
回線契約が引かれていない環境に居住している理由とは。
仮設住宅にはネット環境がないところもあったという。
でも、「何か」つまり「インターネット接続環境」が足りないのです。私が見てきた仮設住宅、仮設住宅の運営センター設備のすべてにインターネット接続環境が存在していないのです。避難所にも無く、災害ボランティアセンターにも無かったためにとても苦労したはずの、インターネット接続環境がここでも準備されていないのです。
大田邦良が失ったもの
大田邦良は住居を失った被災者なのだと思う。
2011年の6月の話をしたい。
直接の被災地域ではなくともバタバタしていたのを覚えている。
ニュースで流れる爪痕の映像。放射性物質。風評被害。余震。
被災地域の東北は想像を絶するような状況である。
その時期に大好きなアイドルのDVDが発売されたとして、入手出来るだろうか。
仮に入手可能な環境があったとして、そこに足を運ぶ気持ちにはなれるだろうか。
ましてや、住居を失っていたとしたら。
お金の問題もあるだろう。
その上、たくさんの希望を失っていたとしたら…。
(もしかしたら生きることすら前向きになれていなかったとしたら?関連記事です)
当時に入手できなかった理由としては十分すぎるだろう。
もしも入手しないという事を選ばざるを得ない精神状態だったなら、
その状態を脱するには相当な時間が掛かる。
島田真夢は2012年にI-1を脱退した。
ちょうどそのタイミングまでのI-1を1期とするならそれ以降は2期だ。
島田真夢センターのI-1が彼にとってのI-1だったとしたら、
きっと、彼にとってそのDVDはあの時失ったものの象徴になっているだろう。
向き合う覚悟がたまたま出来たのかもしれない。なぜ向き合えたのかはわからない。
彼が失ったものを取り戻すためにDVDを探して過去を生きる毎日のなか、
2013年12月24日がやってくる。
大田邦良はDVDではなく、成長した島田真夢と再会する。
受け取ったチラシには彼が探し求めていた過去があった。
島田真夢の名前。
あのI-1の島田真夢なわけがない、と考えたかもしれない。
彼はWUGのステージに観客として向かう。
かつてI-1clubに所属し、今はWake Up,Girls!のメンバーとなった島田真夢と再会を果たすのだった。
それ以降、彼はDVDを探すシーンは存在しない。
彼にはもうDVDは必要なくなったのかもしれない。
大田邦良は過去ではなく、WUGと共に現在を生きはじめたのだ。
”タチアガレ!”は大田邦良の歌詞でもあるな、と思う。