Wake Up, Girls!FINAL TOUR Part3仙台公演の感想

Wake Up, Girls!

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仙台公演。始まりと終わりの地、ここが僕らの帰るホーム。

記憶が薄くなってしまっている未来の自分に向けて記しておく。だいたい4日間に起きたことをまとめて書いている。

・私は木曜日にあったトークショーイベントに参加したあと、仙台に前日入りしていました。北京餃子やらずんだシェイクやらを食べました。気が向いたら書きます

青春は、少女交響曲のなか

今って一瞬でこの瞬間しかない。後からもう二度と会えない瞬間の中にある。儚いっていうのはきっとこういう時に使う言葉なんだろう。イントロだけで、泣けてくる。

少女交響曲はWake Up, Girls! FINAL TOUR – HOME -~ PART Ⅱ FANTASIA ~のセットリスト最後の曲だ。それが最初にあるという意味。Part2からPart3は繋がっている。

ここまで、とんでもなく濃密な時間を過ごしてきたと思う。全33公演のうち、30.31.32.33公演目がここ仙台で行われる。全33公演。暴力的な数字すぎるよ。半年でこの数字。

毎週のようにライブがあって、また来週!って何度言っただろうか。こないだ、最後のまた来週を言って僕らはここに来た。愛知公演。ついこないだだ。でも1ヶ月位前のことのように感じてしまう。

そんなのが積み重なった半年だった。この半年って言うけれど、体感では数年近い内容だった。だったんだよ。僕らが積み重ねてきた瞬間は間違いなく半年以上の質量で、とんでもなく濃厚で、大切な時間だ。

 

たくさん考えてたくさん成長して、少しずつ大人になって。そうしてこのツアーを走り抜けてきて、たどり着いた最後の公演を行う地が仙台。ここまで長かったよな。でもここで終わる。私のWUGとの出会いは仙台の1stツアー千秋楽だった。ここで始まって、ここで終わる。

田中美海が言っていたように、SSAはWUGにとってのエクストラステージだ。これまでのWUGが育ててきたものが通用するかはわからない。WUGならうまくやってくれることだけは分かってる。

でも、これまでのWUGのステージはここが最後なんだ。絶対に、絶対に後悔だけはしたくなかった。だから、後のことなんて考えない。今出せる全力ボリュームのWakeUp,Girls!コールでWUGを迎えた。

WUGと出会ってからここまでは、間違いなく私の人生において青春と呼べる期間だったって断言できる。だから、仙台で歌われた少女交響曲は、青春の終わりの始まりだったような気がする。

幕が落ちて我々がWUGを目にするその瞬間、メンバーの目が潤んでいたように見えた。そもそもその時私の目は潤んでいたから、ちゃんと見えていなかったのかもしれない。

素顔でkissmeの熱量は、ろ過できない

2ndライブツアーで初めて見た時、なんかI-1っぽい曲来た!ってすごいテンション上がってた。でも、どことなくWUGっぽいなとも思ったことを覚えている。

結構早めにコールもついていたけど、”ぼちぼち”盛り上がる曲だったはず。はずなんだ。でもこの日や、ファイナルツアーのkissmeはぼちぼちなんて曲じゃなかった。最強に盛り上がる曲だった。セブンティーン・クライシスに食いつけるんじゃないかってくらい凄かった。WUGが成長していったからこそここまで来たんだって感じる。

 

映像がものすごく赤と緑でなんだかサイバーパンク感あって好きなんだけどさ、九龍城っぽさを感じちゃうんだよ。いつかの私は川崎の九龍城こと川崎ウェアハウスに行ったことを覚えてるだろうか。なんで川崎に行ったかって言うとファンミーティングだ。

そうだ、いつだってWUGが私を色んなところに連れてってくれた。川崎ウェアハウスのことだって前からずーっと知ってたけど交通費もかかるし行くきっかけがなかった。なりえなかった。私を色んな所に連れ出してくれるものだったんだよ、WUGは。

ほんとうは、7GirlsWarのかたちをしている

7GW。最強じゃん。でも1日目昼と2日目昼終わったらもう聞けるかわからない。そんな寂しさがすごくあって。だからこそ寂しいを楽しいに変えていく曲に、今はなってしまった。

本当に最初も最初、タチアガレ!が好きでそんなに7GWが好きじゃなかった。名刺になる曲だったけど、そこまで物語を感じられなかった。TV版全部見るまでは。

 

どうしてもあの七瀬佳乃の全力であの瞬間を生きるためのジャンプに、生きとし生けるものの想いを背負わせてしまう。あの申し訳ないような、だからこそ心が解き放たれるような…「頑張れ」「行け!」って感情が、私の心を巻き込んで行く。私を最初にWUGが巻き込んだランデブーポイントはここだったんだと思う。

青山吉能を含む7人がジャンプする瞬間。形にならない大きな感情が心の底から湧いてくる。七瀬佳乃を青山吉能に重ねてってわけじゃない。七瀬佳乃は青山吉能とイコールの存在ではない。

持ちつ持たれつの背負い合う関係にいまは、なっている。なっていったけど、やっぱり違う存在なのだ。

この瞬間起きているのは、あの時七瀬佳乃が背負って飛んだ「アニメWUGが持つ本質」と、声優ユニットWUGが交差するという事象だろう。ほっとけなくて、おいてけぼりにされたくなくて、あの子たちが一生懸命な姿を見ていたくなるし、そのために見ているこちらも頑張りたくなる。一生懸命に生きていたくなる。

私という個人が勝手にあの子達にそんな重たいものを背負わせているだけかもしれない。でも、「アイドル」って言葉の持つ「偶像」という意味って、なんかそういうことなんじゃないかな。「偶像」は「偶像」でしかないはずなのに、見ている側が物語を作ってしまう、載せてしまう。アイドルとして機能してしまっている。だからWUGはただの声優ユニットなんかじゃない。

…「アイドル」は「偶像」で「嘘」かもしれないけど、信じる私たちがそれを本物にしてしまう。嘘は信じた人の中ではほんとうになってしまう。嘘という容れ物の中に感情が注ぎ込まれたら、感情は嘘の形に固まっていく。そうして生まれるほんとうの形は決して嘘なんかじゃないのだ、と思う。

つたえる、言の葉青葉

ここ、東北でこの歌を歌うこと。岩手のことを思い出す。イーハトーヴシンガーズさんと歌った言の葉青葉。もしも歌い継がれていったら、なんて思ったことはあったけど、2019年6月に岩手でイーハトーヴシンガーズさんがなんと再演してくれるということが発表された。素敵なものだったから。大切なものだからそういう奇跡が起きるのだと思う。

 

仙台であと2回の言の葉青葉を歌って、それが最後なのかな。そんな気持ちで聞いていたけど、青葉は咲くんです。季節が変わっても。この歌がいのち、の力強さを歌っているとしてだ。WUGという「ほんもの」は私たちの心の中に息づいている。息づく。いのちみたいなものなわけで…。忘れないことって、凄く難しい。

でも、忘れずにいられたならWUGっていう存在は終わらない。死なない。その記憶を持つ人が、思い出すことが出来る限り。思い出すことが出来るよう保存し伝える事。それを記録というらしい。同じ東北、とくに被災地にゆかりのある小説、イリエの情景で出てきた言葉だけれど、それも含めて全てつながりを感じる。

 

私は記憶力が低いというか、幸せなことってすぐ忘れてしまうのだ。幸せのデータ容量は大きくて、この低容量メモリーにはなかなか保存が大変なのだ。だけど、忘れたくないものがある。

今この目の前にあるWUGという現象の域に達しつつある存在を、絶対に忘れたくない。忘れないことだけが記録じゃない。忘れないようにすること、そして伝えることまで含めてが記録。

私はこの伝説めいた存在を誰かに伝えたい。WUGを知らなかったり、アンチだった人たちに、今この瞬間生まれてない誰かに、こんなすっごい人たちがいて、東北を、被災地復興という重すぎるものを背負って全力で色んなものと戦い、関わった者たちを味方に巻き込んで、アニメ2期まで作らせた挙げ句SSAにたどり着いてしまったことを、ほんの少しでも伝えたい。

伝えることができたなら、勝ちだと思う。そうして記録として成立させることができたなら、ワグナーとして大田というワグナー代表の近くにようやく並べたんじゃないかって気になれるだろうし、それはなかなか悪くない。

吉岡茉祐のソロパートは泣いてたんじゃないかってくらい感情が込められていた。震えるような、慈しむような歌声だった。それを聞いて何も考えずに身体が泣いていた。仙台で見たのは最高の言の葉青葉だった。5年前に今を想像することはできなかった。こんなのが見れるなんて。

旅立つ、7Senses

最初にこれを聞いて7GWの対になる曲になれるのだろうか、とすごく心配した。それが今、聞きたくて聞きたくてしょうがない曲になった。育っていった。

育てたんだよWUGとワグナーが。物語が何層にも乗っかっていった。4thツアー。ヴィーナスフォート。新章。結構な回数歌ったような気がする。7GWのほうが回数歌ってるんだよな。でも回数が全てじゃない、時間が全てじゃない。7GWに今肩を並べられる曲になった。

まゆしぃの「行くぞー!」「来いよ」「来いやぁー!」という煽り。あのあたりから何かが変わっていったようにも思うし、解散発表後、FinalTOUR開始時あたりから「約束の地」「約束の時」の意味が全然変わっていったようにも思う。思えば同じタイミングでした。

そして、今になって歌詞の意味が変わって聞こえるものがいっぱいになるとんでもない曲だった。「ドアを一瞬閉めて背中向けても夢の続きが気になるはずだ」。いま目の前に、7つのドアがある。

Wake Up,Best!Memorialのジャケットに描かれた7つのドアは、旅立ちのドアであり、ホームに繋がるドアだ。私たちはあの子達を送り出さないといけない。

「きみのために見せたいもの抱きしめているんだ」だって、あの子達が見せようとしている何かを見なくちゃいけない。そのために顔を上げて歩き出さないと行けない。最後にあの子たちは何を見せてくれるんだろう。約束の地で待ってるしかできない。

欲しかったのは、雫の冠

22日と23日、開演前にワグナーの友人たちと仙台国際センター前に行った。仙台市内で使われたWUGマンホールの展示、他にも展示があったのだ。アンケートに答えるとポストカードをくれる。仙台への観光に関するアンケートだった。

WUGがどれだけワグナーを仙台に連れてきたのか。何度連れてきたのか。いくら使わせたのか。そういう内容だったのだけど、私は答えながら笑っていた。たくさんのワグナーが、何度も仙台に来て、前入り、後泊も相当いた。どちらも500人近くのワグナーは仙台にいたように思う。

仙台のグルメはそこそこ食べた。紹介されたもの、聖地としてのものもそう。私は安い宿ばかり泊まっていたけど、温泉地に向かう人もいた。蔵王のほうにも行ったことがあった。

そうだ、ワグナーはそんなに数は多くないかもしれないけど、個人としては相当経済にいい影響を及ぼしているような人が多い。だから私の周りのワグナーはWUGが解散したら仙台に行くか、と聞いたらほとんどまた行く、と答える。仙台は第二の故郷だって言う人もいる。

私は東北を回りたいと思っている。ここにだってダテバイクに乗ってきた。少しは、仙台にも詳しくなってしまっていた。私だって仙台は第二の故郷だと思う。だからこのアンケートを見て誇らしげなものを感じていた。

担当の人にアンケート回答完了の画面を見せてポストカードをもらいながら話をした。何度も来ていること、また仙台に必ず来ること。結局2日で二回行ったので昨日ぶりですね、なんて話もした。

観光関係の偉い人に話を聞かれた。WUG7人揃わなくても、来るきっかけがあれば私たちはまた仙台に来ますし、ワグナー同士が集まれるようなイベント、WUGを振り替えれるイベントがあったら凄く嬉しいということも伝えた。

聖地にも何度も行った事を伝えると、「餃子の天ぱりさんは私たちも凄く大好きで、良くしていただいていますよ、タクシーの運転手方も贔屓にしている方が多いです」「こないだ天ぱりさん行ったら、天ぱりのお母さんに、『海外から女の子のワグナーさんがバックパック背負って一人で来てくれたんだよ、かやちゃんの物もくれて…』って報告を受けました、凄く嬉しそうでこちらも嬉しくなりました。」

そんな話を聞かせてもらって、なんだか愛されているな…と思ってすごく嬉しかった。22日に天ぱりのおばさまに挨拶しに行こうと夜に並んだら目の前でワグナーが麺と餃子を枯らしてしまって食べれずだったのだが、「絶対、また来ます」と挨拶をすることができた。(25日に結局行って餃子枯らしたけど)

その後の話だった。だから泣きそうになってしまった。

地元で愛されてるカフェ、「カフェモーツァルト」の系列店「メトロ」が国際センターには入っている。これは食べなければ駄目ですよ絶対おいしい!って身内に力説していろいろ注文させておきながら、私はモーツァルトブレンドとシュガードーナツを頼んでいた。

WUGマンホールの前でみんなで香りがすごくいいうまいコーヒーを飲みながら、今日のライブの話をしていると、そういえばWUGのMVを流していてくれたなあということに気がつく。たまたま流れていたMVは「雫の冠」だった。国際センター駅2階、この場所でMVが撮影されたものだ。

以前「雫の冠」を手に入れることは、時間を止められるようになるということだと考察したことがある。

この瞬間の私は雫の冠が欲しかった。いまが楽しみで、暖かくて、優しい時間だった。すごく充実していた。

WUGのライブ、目前に終わりが迫っているけれど、それでも今を止めてしまいたいくらい幸せな時間だった。だから、友人のワグナーの顔を見ながら泣きそうになっていたのを覚えている。

ライブ、目の前で歌われる雫の冠。「雫の冠」は手に入らないからこそ、今が尊いものになるのだ。そういう考察だったことを思い出して泣いた。

変えていける、スキノスキル

奥野香耶さんと永野愛理さんダブルセンター曲。ふたりとも担当パートの感情が振り切れそうなくらいだった。

かわいいけどかわいいだけじゃない。包み込むような優しい曲だ、とは思っていたけどやはりWUGの曲は喉元過ぎたあたりから切なくてたまらなくなる。そんな事を思わせるようなパフォーマンスだった。「スキノスキル、スキガスキル」のダンス、めちゃくちゃかわいいんだよ。

私たちの「好きがさせる」先に、WUGは完結してたはずの世界を変えてしまった。WUGFinalツアー、仙台公演で解散する可能性もあったという事が奥野香耶の口から語られた。

思えば、Finalツアーの運営はわぐらぶで、part1もpart2が発表されてからのpart3の公演場所の発表。資金集めに奔走していたのかもしれない。もし、チケットがだだあまりだったら。3月を迎えずに仙台公演でWUGは解散していたのかもしれない。

けどそうはならなかった。ワグナーたちはチケットを完売させてしまった。初めてWUGを見るという人もいたし、過去にWUGに触れたから来てくれた人もいた。解散ブーストというのもあっただろう。でも、ここに来てファンは絶対に増えている。布教もしてきた。ここがすごい、これを見たら良いと思い思いの手段で。

私たちをそこまでして突き動かしてきたものは「スキ」だ。これ以外にも解散の危機とかはたくさんあったはずだけどWUGはとうとうここまで来てしまった。この曲の存在自体が完結してた世界を変えて生まれてきたものなんだろう。

だからSSAで「やれるんだよ!」(SSAが発表された横須賀公演でワグナーをそう叫ばせたのは集団の意思だったかもしれない。)この先私たちは「たいせつなもの」を失くさずにいられるだろうか。ここまで来れたWUGとワグナーなら、きっと大丈夫。

もうちょっと、の僕らのフロンティア

もうちょっとだけで手がとどきそうでとどかない。うまくいかないけれど、少しずつ進んでいく。なんか、WUGの道のりってそんなんばっかだったなあって。何かをずっと追いかけてきた。

掴めそうで掴めない何かを追いかけて延々と走って来た。ほんとうは期間限定、だけれどその中にいるあいだは先が見えないような。でも楽しくて、振り返るとあああんなこともあったねって。

そんな曲を歌うWUGは3月8日に解散する。

発表当時は「WUGっぽくない」「刺さらない」って言う人もそこそこいたのを覚えている。タイアップ曲第一弾で、アニメWUGの曲じゃないということはアニメWUGの物語を背負っていなかったということでもあった。

WUGの世界を飛び出して外の世界に出たWUGと、それを応援する者と応援できない者という構図。

アニメの作中、青春の影で東京に出たWUG、WUGを応援する大田邦良とWUGアンチの人、みたいな構図。なんだかアニメWUGの曲じゃないのにすごくWUGだったよなって。

これって今その瞬間だけがそうだろうって思えなかった。この後も続いていくんだって、WUGとワグナーは色んなものと戦い続けないと行けないんだなって、戦いがあることに安心しちゃってたことが、「たぶん何年たっても先までいけるはずさ」のせつなさが、今になってちくちくと痛み始めるんです。

今、振り返るとこの曲はWUGらしくてしょうがない。私はWUGと、ワグナーと一緒にいつまでもそんな競争をしたかったのかもしれない。

「憧れのほうにこの手をのばした」田中美海の最後のパート。感情を乗せるのが苦手だと言ってたけど、こんな今だから見えた色んなものを重ねていたのかもしれない。青空みたいに透明だけれど、力強かった。

この後もWUGのメンバーは声優個人として戦い続けていく。WUGとワグナーというくくりではなくなってしまうし、それこそいつまで続くのかわからない長い、長い戦いになる。メンバー同士もライバルになる。

だからこそ青空の下、WUGとワグナーで最後に一緒に手を伸ばしたのだと思う。僕らのフロンティアにいつかみんながたどり着いたら、みんなで笑いあいたい。

奇跡は、寂しくて楽しいOne In A Billion

なんでこんなに楽しいんだろう。寂しいから?もう聞けないかもしれないから?この瞬間を大切にしたい。そんな思いをWUGちゃんの歌から受け取った。

「この広い世界で君とめぐり逢う奇跡レベルって言えそうな確率」私はこのフレーズがとても好きで、毎回噛みしめるように聞いている。WUGと、ワグナーに出会えたことは必然や予定調和なんかじゃない。あの時あんな偶然がなかったらありえない。

そんなことの積み重ねで私たちはここにいて、この会場の中で同じ奇跡みたいなものを目撃している。その事の重みを毎回このフレーズを聞きながら実感して泣きそうになる。

奇跡は続かないから奇跡なのかもしれない。だからこそ大切にすることができる。出会いがあればいつか別れは訪れる。その2つがセットでやってくることを時々私は忘れてしまう。忘れたくなる。

それくらい人と人、人と物の邂逅は楽しくて、たくさんのものをくれる。

 

突然ライブ後の話になってしまうけど、仙台2日目夜公演が終わったあとに周りの席の色んな人と言葉を交わした。

ありがとうとか、最高だったとかありふれてるようでありふれてない感情。でもこの人達のほんとうの名前を私は知らない。こんな素敵なものを一緒に見た私たちは、WUGがなかったらここで話すこともなく一生出会うこともなかったかもと思う。

そのうち殆どが顔見知りだった。ここで初めてライブ会場で出会った人たちではない、どこかの公演や会場で言葉を交わし、Twitterかどこかで接点を持ち、WUGのツアーを続けてきた旅の仲間たちだった。

 

こんなすごいことってあるんだろうか。顔を知ってるけど、日本の数百キロ離れたところで一週間おきに会うだけで、日常生活ではほとんど接点がない。そして別れの挨拶は「また来週!次は●●で!」だった。

この別れの挨拶が使えなくなってすぐ、最後のライブがやって来る。このまま私はこの人達と会うこともないのかもしれない。相関考えると突然寂しくなってくる。だから少しだけ、連絡できるような接点を残しておきたいって思ってしまう。

 

実際接点を残しておいても出会わないのかもしれない。そういうフェードアウトのような別れと、いきなりまたな!と別れるのだとどちらが寂しいのか、そんな事を考えても結局寂しいのは変わらない。だから楽しい思い出を持って別れることにしようと思う。

寂しいからこそ、楽しい。そういう感情の同居はできるはずだし、寂しいを楽しいに変えていきたい。それが生きるってことだとも思う。

 

客席を立とうと振り向いた瞬間の話をしたい。後ろの人は号泣していて、涙をぽろぽろ零しながら「ごめんなさい」と言った。

「WUGちゃん、最高でした。今日初めてWUGを見たんです。ごめんなさい。もっと早く、WUGちゃんに出会いたかった。WUGちゃんを知りたかった。WUGちゃんのツアー最後の千秋楽のライブなのに、僕は初めて見たんです。僕よりももっと座るべき人がいた。」

私は「ありがとう」と伝えた。それは彼が千秋楽を見れて、見れなかった人がいた。これはいろいろと仕方のないことだった。それよりも、伝えたいことがあった。

 

「いま、WUGを知ってくれて、出会ってくれてありがとう!」「最後なのに、勇気を出して来てくれてありがとう」「どうか今日のライブを、WUGちゃんを忘れないでね」「良かったらSSAも来てくださいね!」。

やっぱり彼の涙は止まらなかったけれど、出会いってそういうものだと思う。もっと早くに出会いたかったとか、違う形で出会いたかったなんてよくあることだ。私がドリフェス!の武道館でのライブを見たように、遅い出会いでも、人生や大切なものになるのを知っている。

その出会いを大切なものだと思うなら、いくらでも大切にできる。

だから私はWUGとの出会い、ワグナーとの出会いを大切なものにしたい。私にとって最高の出会いだったと言えるように、記憶喪失になっても少しだけでも思い出せるように、その奇跡を言葉の形にして記録するのだ。

「信頼」が見せる心地よさが、恋で?愛で?暴君です!にある

青山吉能が、いつもよりもずっとずっと「嬉しそうにして欲しいのに!」だった。

熊本公演の青山吉能プロデュース企画後に号泣した客席、その後に披露したHIGAWARI PRINCESSで「みんなー!笑ってー!」と言った時に似たような感情を受け取った。私だって好きな人達がずっと泣いてたりつまらなそうにしていたら笑って欲しいと思う。

いつからかサビ前、Bメロっていうのだろうか。ここでクラップしよう、という流れが生まれて、どっちが先だったかは思い出すことができないのだが「オレモー!」というコールが完成。これも同じところ。

デキるワグナーは「オレモー!」とコールを叫びながらクラップをするわけである。出来る気がしなかった。身内のデキるワグナーたちは出来る。私はWUGで初めてライブに行き、ライブに通うのはWUGだけだ。

コールだって全部戸惑ったのを覚えている。今では初見の曲でもコールを入れられそうな気がしているけど、どうしてこうなったんだろう。それもこれも全て、現場でやってみたからだ。家で練習なんてしたことがない。

せいぜい身内ワグナー同士でカラオケに行った時に練習?らしきものをした程度。なんとなく、できたらいいな。うまく出来るかわからないけどやってみたい、だからやってみる。しかもぶっつけ本番で。

そんなんでいいんだろうか何か問題は起きないだろうかと昔の自分は考えていただろうが、今の私は雑そのものだ。

part1のどこかの公演で気がついた頃にはオレモー+クラップを何となくできるようになっていた。失敗してもいいからとりあえずやってみる。そんな前向きさを手に入れられたような気がする。これが成長でなかったらなんと言うんだろう。

ワグナーとして成長する過程でこの曲はとても思い出深い。WUGとこの曲が、私をどうなってもいいしそんなにひどいことにならないからとりあえずやってみる、という雑な人間にしてくれたのかもしれない。

 

愛は人間の発達過程において重要な要素と考えているのだが、案外、「雑」というのは「信頼」と言い換えることができるのかもしれない。この「信頼」こそ安心につながる愛ではないだろうか。

この曲で歌われている内容は純粋なようで重たくてそれこそ相手を振り回す暴君みたいな愛のかたちだ。この曲の「私」がそれを見せることができる「君」が「私」に向けるのもやはり「信頼」ではないだろうか。

 

ワグナーとWUG、信頼で結ばれた関係だからこそできるものがあった。客席まで降りる。客席から出てくる。2階の客席通路まで走って行き、帰ってくる。(いずれもこの曲ではないのだけれど)

こんな演者と客の関係、これは並大抵の信頼関係ではできないはず。この信頼関係が心地よくて、誇らしいんです。

仙台二日目昼の部MCで、吉岡茉祐が「絶対忘れないって言いながら数年後には他現場に行くんだろ!」「絶対忘れられなくしてやるから!」「絶対忘れんなよ約束だからな!」と叫んだのを思い出した。

この関係、ライブ、絶対忘れたくない。今思い出すと独占欲とか嫉妬とか、ちょっとそういうのを感じる。その裏側にあるのは間違いなく信頼だったと思う。

桜の花束を、永野愛理に

U.S.AとI-1clubの”アレ”(overture)

永野愛理のダンス。何かが燃えるようなダンスだった。まるで感情そのものだな、と感じた。アドリブでその場に合わせて…というのをMCで聞いて、ああこの人は感情を踊っているんだとその瞬間に納得してしまった。

U.S.Aは周りで歌えてる人は少なかったけど、メロディを歌ってる人はいた。overtureには思わずコールをしてしまった。舞台版でI-1が踊っているのを見たのを思い出して、気持ちが盛り上がって…。

ダンスだけで空気を熱くするこの人は何者なんだろうと思う。もっと見たい。その機会が欲しい。けれども。

タイトロープラナウェイと、outlander rhapsodyの分かれ道

part2、FANTASIAで8つの頭を持つドラゴンは世界を黒く塗りつぶし、「イマジネーションの力」を奪っていた。世界を開放するため、「イマジネーションの力」を開放するため、7人の妖精が選んだ7+1人の勇者…WakeUpGirlsの7人とワグナーは力を合わせ、ドラゴンとの戦いに挑む。

8つの頭は、WakeUpGirls!のメンバーカラー7色にWUGグリーンを加えた8色。あのドラゴンはきっと私たちの不安とかイライラ、ネガティブな何かが作り出した影のようなものだったのだと思う。解散、その後の不安。私たちはどうやってWUGが解散したあとの日を生きていくのだろう?うまくやっていけるのだろうか。

それ以外にも予期しない不幸だって、あの日のようにあるかもしれない。それを乗り越えていってほしい。そうしてWUGとワグナーはpart3、KADODEに向かうんだよ。

part2冒頭の8bit風のRPGのゲーム画面のような演出。マユ、ヨシノ、ナナミ、カヤの4人は日本地図のようなマップを歩いていく。大阪から横須賀、そしてドラゴンと戦うのはpart3が始まる地、熊本だ。そういうメッセージが込められているようにも思えた。

part2は7人のoutlander rhapsodyだった。元々この曲は4人曲だったのだが、歌唱中に3人での歌唱曲「タイトロープラナウェイ」の3人が合流する演出を経て7人曲になっていたからだ。だからこそ「オラにみんなのWakeUpPowerを分けてくれー!」「みんなの声聞かせてー!」と叫ぶ田中美海、吉岡茉祐の声を口火に全力のWakeUpGirls!コールが完成した。

私たちはWakeUpPowerをみんなで送ることに成功しドラゴンを倒した。そうして迎えたKADODE、outlander rhapsodyはそれまでの熊本、大阪、長野、徳島、愛知という5会場においてセットリストに含まれていなかったのだが、仙台公演の企画においてタイトロープラナウェイと一緒に復活を果たした。

けれども、仙台版は4人のままだ。ドラゴンも現れなかった。最後までWakeUpGirls!コールを入れるべきか迷った。7人にWakeUpPowerを送るために私たちはかつてそうした。

Part2でドラゴンを倒して、part3でのoutlander rhapsodyの4人とタイトロープラナウェイの3人はもう別々の道を歩き出した後だったのかも。それでも想いは一つだったと信じたい。だから、WakeUpGirls!コールが仙台でも響いたのだと思う。タイトロープラナウェイの歌詞は今聞くとちょっと辛い。

私たちは違う道へ歩き出したときが来ても、それぞれの道を選び取らなければならない。かつて想いを一つにした私たちは背中に色んなものを乗せて歩いていく。その力は一人分じゃないはずだ。だからきっと、先に進んでいけるだろう。

永野愛理を笑顔にしたい人たちがいる。

minority emotions のためだけにUOや明るめのオレンジを持ってきている人がたくさんいた。だから全体的にオレンジだった。その中でピンクの光が輝いていた。歌詞で歌われるのは、オレンジの中…秋の景色の中に咲いてしまった桜だ。
永野愛理がこの曲を歌うということがなんだかいつも心のなかをざわつかせている。仙台でこの曲を聞くときもそうだった。あの人はオレンジの中に光る桜なのだろうかなんてことまで考えてしまう。

いつだって永野愛理は自分が目立つよりもとにかくWUGのメンバー6人を立てる姿が凄く印象的だった。永野愛理は縁の下の力持ちをやり続けた。やり通した。努力家なのも知られている。MCでもメンバーにも努力してるってアピールしていいんだよ、見えるようにしていいんだよ、と言われていた。

それでもずっとWUGのメンバーであると同時に6人のメンバーのファンであることも、ファンを喜ばせるためにファン目線に立つこともやり続けた。永野愛理は誰かの笑顔のために、たぶんずっと考え続けている。

そんな人だから、その姿が愛される。

 

仙台公演で桜色クレッシェンドが歌われる時、会場内は青とピンクのサイリウムで作られた桜景色に変わる。いつか永野愛理が好きだと言った桜を届けようとする人たちがいた。

永野愛理推しワグナー、永野愛理推しではないが、永野愛理が好きなワグナーたちがこれまで桜色クレッシェンドが歌われるタイミングでピンクのサイリウムを振るよう各所から頼んでいた。

それだけではなく、彼らは会場によっては自費で購入したピンクのケミカルライトを配布していた。WUGの物販で売られるサイリウム(ワグナーブレード)は基本的にピンク色の発光ができないセッティングになっているためだ。

ここ仙台も同様だった。関東から仙台に郵送する、直接輸送するなどで運び込まれた800本以上のピンクのケミカルライトが会場で配布されたと言われている。自前でピンクに光るサイリウムを持ちこんだため大丈夫、という人も多数いた。そういった人々がいて生まれてきた桜景色。仙台のものも永野愛理の心にきっと届いたはずだ。

桜色クレッシェンドの歌唱中、仙台の聖地や関係者からありがとうを伝えられるビデオ映像が流れた時は視界がにじんでしまった。

 

楽天WUGナイターやアニメにも登場してくれた伊達武将隊。WUGコラボナイターを開催してくれた楽天野球団。バスツアーでお世話になったたびのしおり。ワグナーが何度も行った聖地、喫茶ビジュゥ。林田藍里の実家、熊谷屋。どこもお世話になった。

ここに映っていない人も含めて、お世話になったこのまち、仙台の人々へ、あいちゃん、ワグナーみんなでありがとう!を叫んだ。私がありがとうを叫びたい人たちの真ん中には永野愛理がいた。WUGのファンクラブ、「わぐらぶ」の編集長としてたくさんのワグナーのために企画や会報にも関わってきた永野愛理。

わぐらぶで過去3回開催されたバスツアーは、同室者を事前に申請しない限り知らないワグナーと同室での宿泊になる。私はこれを永野愛理が仕込んだものなんじゃないかなあと勝手に思っている。そうであってほしいという願望ではある。

このバスツアーで何が生まれたのか。私はオタクは自分の所属しているグループ、コミュニティ内で基本的に完結する存在だと考えているのだが、WUGのオタク・・・ワグナーを、同室にぶちこむことで強制的にコミュニケーションを取らせた。

私なりに色んなワグナーと話してきたけれど、「わぐらぶのバスツアーで同室だった人なんですよね」「同室だった人と今も連番してます」みたいな人をたくさん見てきた。ワグナーの横のつながりが生まれるきっかけはここにあったんじゃないかと思う。推しが違うワグナーでも、別のグループの誰かを知っている。そういう横のつながりがたくさんある現場になっている。

私は、WUGがつないだ縁を沢山見てきた。私自身その縁の輪の中にいるから、だからここまでWUGを応援してくることもできたのかもしれない。

輪が生まれるきっかけをくれた永野愛理にありがとうをいつか伝えたい。

だから、私たちのハートラインはつながる

永野愛理が振り付けをしているハートライン。「時が経ち新しい未来でいつかまた出会えるはずだよ」

青山吉能と吉岡茉祐が歌い上げるパート、「よっぴー!よっぴー!」「まゆしぃ!まゆしぃ!」とコールが入る。全力でワグナーとWUGがぶつかる瞬間だと思う。

ここで、仙台1日目夜公演は「あいちゃん」の名を。仙台2日目夜公演は「WUGちゃん」を。

奥野香耶に煽られるまま、私たちは全力で叫んでいつかまた、を願い愛を捧げた。両公演、声は完璧に揃っていた。迷いはなかった。あの時、仙台サンプラザホール、2000名近くの私たちワグナーの気持ちは一つになった。

これが私たちの信頼関係が形になった瞬間だったのかもしれない。

「勇気出す一歩準備してる、さあもう大丈夫歩き出せるよ」桜色クレッシェンドで永野愛理が心を込めて歌い上げたフレーズだ。こうして人と人の想いがつながるのなら、この先もきっと歩いていける。そう思わせてくれる企画だった。

東北の、HIGAWARI PRINCESS

永野愛理がガチ告白を歌いながらしていたけれど、したことがない、とブログで言っていた。「一生大好きです!」と叫んでた姿はたしかに少し恥ずかしげでした。

奥野香耶が「私のプリンセスは今日でラスト!みんなしっかり目に焼き付けてね!」と叫んだ瞬間、ここまで誰かがプリンセスをずっとやってきたこの曲もラストなんだ、という事を思い返して、まぶたに力がはいる。

地方ごとに毎回プリンセスが変わるのがこの曲だった。この曲におけるプリンセスは、曲センターというには破格の扱いを受ける存在だ。歌詞中、タイトルにあるように日替わりだからプリンセスなのはその日だけなのだけれど。

プリンセスに会いに行く。そんな意味合いを持っていた曲だったと思う。東北のイオンのCMで・・・と説明すると、結構な人が知っていてくれる曲でもある。

東北限定のイオンのCMにWUGがこの曲とともに登場し、食品売り場ではこの曲が流れていたのだ。どれくらいの人が覚えていてくれるんだろうか。この曲を好きだった子が、大人になってどこかでこの曲名を知って好きだったなあ、懐かしいなと思って検索して、WUGってユニットは他にもこんな曲歌ってたんだ!みたいな入り口になったら、それはそれで素敵だと思う。

これを聞いた子が泣き止んだというツイートを見た。WUGが東北に受け入れてもらえた、日常の中にあるのだ、という感じがしてすごく嬉しかったのを覚えている。

この曲を東北で、永野愛理と奥野香耶が歌うということにすごく意味があると思っている。WUGのメンバーの中だと割とふたりとも後ろに立っている印象があるからだ。だからこそ、この二人がこの日はプリンセスになったのが嬉しかった。

あふれる、16歳のアガペー

最初に私が言葉にしたいと思ったWUGの風景は16歳のアガペーの中にあった。たぶん2ndツアーのどこかになるのだけど、「まっすぐ君の名前を呼ぼう」の瞬間にワグナーが叫ぶ推しの名前。

みんなが叫ぶもんだから全く聞き取れないけれど、愛の形をしているのは間違いないそれが会場中にあふれる。その時のWUGちゃんのなんとも言えない表情。

あの瞬間が物凄く好きで、「エモい」という言葉を知る前にこの気持ちをなんといえばいいのかわからなくて困ってしまったのを覚えている。今思えばそれはアガペー、の一言になるのかもしれない、という答えに行き着いてしまう。

16歳のアガペーをアガペーと言う言葉にくるんだのは間違いなく16歳の本人ではないんだろうな、と思った。25歳くらいの本人が振り返ってあれは「16歳のアガペー」だったねと笑いながらこの曲の詞を書いてたら素敵だと思う。

現実には只野菜摘さんというすごいひとが書いているのだけど、アニメWUGの世界ではtwinkleが書いていたはず。私は今この文を書きながら当時を振り返っているけど、振り返るってこと自体が成長しないとできないことのはずだ。あの時はああだった、今はそうじゃないけれど…って違いに気づくこと。

それが本質にあるような気がする。だとしたら私の見つけた「アガペー」は失われてしまったのだろうか?私はあの、純粋な愛しさ、みたいなあいの形が心の中に残っていて、それを心に浮かべて眺めながらこの文を書いている。数年後も、十年後も同じように出来たら良いなと思う。

 

結局そういった想いや、感情がえぐっていったものがいま私の心の中に残っているので、きっと何年経っても同じようにその形を確かめることができるんじゃないか、と希望を持ちそうになる。

けれども大切で大切でしょうがないからこそ、今のうちに別の媒体で、こうやって文章として保存することに熱意を燃やす。少しでも出来ているといいけれど、たぶんあの愛の形はあの形のままで、説明できないような重さの幸せが詰まっているということしか残すことが出来ないだろう。

物理的に触れることができるならホルマリン漬けにして保存したくなってしまうけど、ホルマリン漬けにしたところで揮発してしまうもののような気がする。とりあえず、映像媒体に残ってるものが数百年くらい記録として生き続けてくれたら良いなと思う。

 

1日目、会場最前で見た16歳のアガペー。WUGちゃんはかなり会場全体を見ていたはず。きっとこれまでだってずっとそうしてきたんだろう。だからWUGちゃんに指差しをされながらうっかり「まっすぐ君の名前を」呼んでしまった人たちは本当に指差しをされたのだと思うので、同担の方に嫉妬されないように、こっそり胸の奥にしまってその時の気持ちを大切にして欲しい。

 

こういうとき、後ろの人や近くの人、直線状の人たちを幸せにできる人たちと、幸せにされてしまう人たちの1対多の非対称な関係性ってすごく素敵だと思う。私は1対1の誰かではなく、WUGちゃんに対してはワグナーという1対多の中の誰かにいたいな、とも考える。

 

もしもこの記事やブログが読まれてたらいいな、その上でこうやって書いている人ですと伝えられたらな、とも考えてしまうことはあるけど、お互い一方通行の中にある今の関係がすごく気に入っている。なんともこんな今を想像出来なかった。

かつて、を振り返るのには想像できないくらい遠い所に来ること、それだけが条件なのかもしれない。

進む、さようならのパレード

ワグナーはほとんど泣いていた。WUGちゃんも泣きそうだった。たぶん誰か泣いていたと思う。みんなきっと同じ気持ちだろう。送り出すようなWakeUpGirls!コールがどこからか聞こえた。涙を拭く暇もないまま私は叫んでいた。

たぶん会場には大田さんがいたんだと思う。

彼女たちのカーテンコールに拍手で応えることができたけど、我々はSSAでも拍手で送り出すことができるだろうか。もしもあの子たちが求めるなら、それに応えたい。

曲の終わり、「一緒に!」と奥野香耶が求めたのは、歌詞にない「Wake Up!」だ。この「Wake Up!」は、「Face up」 (顔を上げて)で、「Face」(立ち向かって)で、「Go forward」(進もう!)で、「タチアガレ!」という意味が込められてるように感じた。

私たちは下を向いて、泣いてばかりではいられないのだ。

ここまで来たけれど、ワグナーはここからWUGだけを送り出すだけじゃない。ワグナーが、KADODEを迎えなければならない。ちゃんとこの先を生きていかなければならない。「極上の笑顔でまた会いたいんだ」と歌うあの子達と、いつかどこか、また命の音を響かせるために。

たましいは、Beyond the Bottomの影に

仙台公演数日前に池袋アニメイトで開催されたトークショー。吉岡茉祐、永野愛理、田中美海、奥野香耶が曲について語る!というコーナーがあった。色んな曲について語られたが、Beyond the Bottomについてのコメントは恐ろしく真剣なものだったように思う。

吉岡茉祐「本当に歌っていたのか…一番、記憶がなくなる曲。」

永野愛理「人の形をしてない。魂が踊ってる。メンバーと二人ずつ手をつないで目を合わせた瞬間に人間に戻る。」

奥野香耶「PVを取ってる時、夕日がきれいで。ダンスの振りのダンサーさんがかっこよかったから取り入れた。祈り捧げるところは毎回その時の気持ちで違う。」

「私たちの魂を聴いて下さい。」そうして仙台2日目夜公演のBeyond the Bottomが披露された。

ここまで、いろいろなことがあったのを思い出す。初めてこの曲のPVが公開された時。なんてものを歌うんだ。なんて歌をこの子達は背負わされてしまったんだ。それでもこの子達はこんなに歌い切ることができるのは、なぜなんだ。そう思って泣いたのを覚えている。

私は覚えている。2015年12月11日に映画館で公開された劇場版WUG後編「Beyond the Bottom」を封切り日最初の公演、世界で最初に見てやろうと最速でTOHOシネマズ新宿の上映ホールに入って島田真夢の生原画をもらったのも、

上映中に涙が止まらなかったのも、スタッフロールで泣きながら最後の一枚絵とロゴで前が見えなくなって、上映後、映画館なのに拍手が起きたことも。

そして2015年12月12日の幕張。WUGfesta2015 BeyondtheBottomEXTEND。この劇場版WUG後編「Beyond the Bottom」が公開された翌日に行われたライブで、吉岡茉祐が「WUG、終わりたくない!」そう叫んだことも。私も終わらせたくなかった。ちゃんと覚えている。

 

沢山の物語を積み上げて、2017年の4thツアーの最後にその人が「これがWake Up, Girls!のライブだ!これがWake Up, Girls!だ!これからもついてこい!」と叫ぶ。

WUGは、そうやってここまで来たんだよな。少しずつファンを増やして、色んな層の人が増えていった。いろんな曲も増えた。でも、この曲が好きだって人ばっかりだったんだよ。この曲の本気さに、この曲を歌うWUGの姿に本物を感じてきてついてきてくれる人ばっかりだった。

 

命を燃やすようにして鬼気迫る姿で歌う7人が、魂をむき出しにして背負っているものの重さも全てこの歌に体重を預けてステージに立っている。

いつかこの曲を作詞した、辛矢凡は「彼女たちが歌うべき曲じゃない」と言っていた。私はその真意はわからないけど、Beyond the Bottomの歌詞は暗くて冷たいディストピアのような世界に生きていて、ずっと救いを求めている人にあてたもののように感じる。

誰かに向けられた歌詞だとして、それはWUGの物語にいなかった人物のようにも思う。もし、これが「彼」に向けられたものだとしたら、確かに彼女たちが歌うには辛すぎるものだ。救われたい自分が自分のために書いた歌詞を自分が手がけたユニットやアニメのアイドルたちが歌う。それは確かにいびつである、としか言いようがない。

 

だけど、だけれども、この歌詞の中にいる「僕」でなきゃ救えない誰かは確かにこの世界に存在する。だってこの世界が暗くて冷たいディストピアそのものの面を持っているからだ。その冷たさに傷つけられている誰かは、あの日傷ついた誰かであるかもしれない。

それはWUGが助けたかった誰かであり、WUGが救ってきた誰かでもある。そうしてこの曲は「本来の意味」から離れていく。生まれは確かにエゴにあったかもしれない。この曲、この曲を歌うWUG自体が物語を積み重ねると同時に、聖性を獲得していく。

かりそめの救済が本物の救済になっていくのと同じように、容れ物だった存在は質量を増やしていく。WUGが生まれた理由。WUGが進んでいく過程。同じものをこの曲は背負ってしまったのだった。

 

「PVを撮影した時、夕日がきれいだった。影絵みたいで」そう奥野香耶がトークショーで言っていた。ライブの演出にも使われている「影絵」。サビ前のコーラスで、WUGは真っ白な光の中に溶ける。その時に見える影の神々しさに息を呑む。

これがWUGの魂のかたちだというなら、世界で一番きれいだと確信する。

 

2019年、Beyond the Bottomは、WUGは力強い歌声で、この曲の歌詞をなぞって上書きしていった。「神に祈らず、自らの手で全てを受け止め、先へ進んでいく」私にはそんな意思が伝わってきた。この曲の持つ色が空白の白ではなく、生命の白だった、とでも言えば良いんだろうか。

今のWUGなら、「彼」の心にも光を届ける事ができるかもしれない。WUGが最後に向かう地、SSA。最後のその瞬間までWUGはWUGであり続け、WUGらしく進んでいくだろう。その瞬間を見届け、送り出すのが私のワグナーとしての使命だと思う。

 


エタりそうになってるので一旦このあたりはあとで書かせてください。→諦めた。

タチアガレ

TUNAGO

Polaris

地下鉄ラビリンス

極上スマイル


当たり前ではないこと、救いの神が見えた

この仙台公演は転売を行っていると思われる輩がライブチケットをチケットマーケットサイトで4公演で合計400枚を販売していた。どれも一枚で2万、3万円という相場だった。(そこにないものも含めるともっとあるだろうけど)

恐らくそういう輩の相当数のFCアカウントから申し込みが行われていた。”そのため”だけに作られたアカウントも多数あるだろう。ファンクラブのアカウントをお金払って作っても、2,3万でさばければ黒字になるのだろう。

だからなのか、特に仙台公演2日目夜のチケットは非常に倍率が高く、TLでも落選した人が多数。知り合いでもそこだけ行けないのに他公演は行ける、という人が多く見受けられた。転売屋に金を払って参加する人もいたし、グループでなんとか連携している人、自分で引き当てる人もいた。

毎公演最前エリア中央にいる人間もいた。まあそういうことなんだろう。

某界隈だと転売屋を撲滅することが出来たそうだが、チケットが取れたとSNSに書くと取れなかった人の気持ちを考えろ、というリプライが飛んでくる界隈とも噂に聞いた。そういう色んな怒りやエネルギーがある界隈じゃないとたぶん転売屋撲滅は叶わないのだとも思う。だからこそそんな彼らが長いことのさばっているのだろう。

とにかく、仙台公演は非常に倍率が高かった。見れない人、諦めた人がたくさんいた。

その仙台公演で、私は仙台1日目夜公演、仙台2日目昼公演、会場内に入場後どちらもトイレに行く途中にチケットを紛失してしまった。書いてて自分でも驚くけれど、今までチケットをライブ前に紛失したことはない。

連続で紛失したこともあり、2日目昼は本当にパニックになったし、会場内で会った友人はずっと心配してくれていた。なんなら友人は自分のチケットを私に渡すつもりだったというから本当に申し訳ないしありがたかった。

 

1日目夜は落としたチケットそのものが比較的すぐ見つかった。階段の近くに落ちていたそうだ。スタッフさんに説明してチケットを見つけてもらった。入り口近くで荷物をひっくり返している死刑囚みたいな表情の人がいたらそれは私です。

2日目昼には、スタッフさんに即事情を説明したものの、チケットが出てくることがなかった。(ライブ後、TLのどこかで「トイレにチケットが捨ててある」というツイートがあったらしいが、多分それは私の落とし物…。)

3Fというフロアとブロックまでは覚えていたが、席の番号を控えていなかったのだ。とは言え、開演前までパニックである。ナレーションも始まり、いよいよ見れない公演が出てきたか、と茫然自失に近づいていく。

チケットの発券番号、申込み番号はメールで控えていたから知らせることは出来たが、やはりチケットが出てこないこと、番号がわからないことなどからどうすることも出来ず、生殺与奪を他者に握られている状態でいたのだが、スタッフさんからなんと空席となっていた後方の席に一旦座るよう指示を受けた。その配慮により何とかライブを楽しむことが出来た。

 

「救いの神が見えた。そうだねここでがんばってくよ」である。

吉岡茉祐のMCで、「ここまでこれたのはスタッフさんたちのおかげです!色んな人に拍手!」という一説。私は泣きながら振り返ってそのスタッフさんに何度もありがとう、を言った。

スタッフさんの目が潤んでいたよう見えたのはたぶんWUGちゃんを見ていたからだろう。

ともかく、私はそのライブをそのスタッフさんを始めとしたイベント運営に救われ、なんとか見ることができた。本当に感謝しかありません。

 

想いはつながり、虹になる

 

《七色の道標》 仙台サンプラザからSSAへ!七色の虹をかけよう! - TwiPla
【主催者より皆さまへ】 本企画は皆さまのお陰で、「~七色の道標~」は達成いたしました。 お力添えを頂いた全てのワグナーの皆さま、 誠にありがとうございました。深く感謝申し上げます。 あとは残すところ1

 

仙台公演2日目夜、WUGにタチアガレ!の青山吉能が歌う落ちサビ歌唱中にサプライズで客席のサイリウムカラーを七色に分け、虹色の道標を作り、SSAに向けて送り出そう…という旨の企画が、数公演前より先から発表されていた。

 

ケミカルライトを会場内の2000席を超える全席に配布するというもので、ツイプラの参加表明者数は140人超え、協力者数もかなりのものだった。この企画の企画者は、チケットの転売や大量入手を日常的に行う人間やグループと関係していることが疑われる。

 

今回の仙台公演は一番転売が横行している。先程も書いたように、1枚8500円のチケットが一枚2〜3万で転売されていた。見れない人も大量に発生していた。嫌なら転売屋に倍近い値段を払うしかなかった。

ケミカルライトは1本100円近い。2000席を用意するなら200000円だ。

チケットの大量入手を日常的に行うアカウント。
広義の転売にあたる定価以上の販売をしている。

https://twitter.com/iovogliopiacere/status/1136599340871368704

本人がチケットをそういった人間からもらっているとか、この企画の資金源とかは不明だ。本人のプライベートなやりとりをしている端末を抑えてやっとわかることだからこのことは置いておく。「私には」企画者本人がクリーンな人には見えないし、「私には」そういうグループの人間にしか思えない。

企画者本人には直接的被害を受けていないものの、以前、さいたま新都心でのRun,Girls! Run!のライブ中にそういうグループの人間から私は殴られるなどの暴行を受けた。私だけではなく複数人のワグナーが暴行を受けていた。

私に暴行を行った人間のアカウント。
なんのためにチケットを数百枚買う必要があるだろうか。

https://twitter.com/yanagihime3846/status/1074975351468548096

 

暴力を振るった人間と同じグループと見られる。複数人で何かをしているようだが何をしているのだろうか

暴行されたことに対して、警察に被害届を出すことも考えたが「被害届を出した結果相手側の弁護士の開示請求によって私の住所、本名が相手に知られる可能性がある」と警察から言われたこと、取り巻きが同様に被害を受けた人間に対して報復したいと具体的な手段のツイートをしているのを目撃したため取り下げた。

そういう事情があるので私はそういうグループの人間と関係がありながら最後の最後、解散を控えてのツアー大千秋楽で良い顔しようとしてるようにしか思えず、企画者の神経を疑った。

まずこの企画が映像化されるのが間違いないこと、成功しても、失敗しても、その企画のことを考えてしまうこと。どれをとっても不快だし、許せなかった。サイリウムを受け取るつもりもなかったし、参加したくなかった。企画者がそういう人間であるとしか思えないので、それを隠した上で企画をしているということが、参加者を騙しているようにしか見えなかったのも嫌だった。現地の会場に行くまでは、の話である。

 

私は彼らが嫌いだ。

 

会場に着くと多くの人が企画を手伝っていた。

彼らのうちどれだけがそういう事情を知っているのかはわからないけど、とにかく全力でやっていた。その姿がすごく好感を持てた。聞く所によると公式も協力的で、スタッフ控室まで用意されていたらしい。

 

実際仙台2日目、夜公演の座席に座るとサイリウムとビラが置いてあった。近くのワグナーが、「ああここ何色だっけー?」「わかんねーけどやろうぜー」と言っているのを見た。

 

ああこの企画は成功するな、と思った。それに対して不思議といいとか悪いとかという感情は浮かんでこなかった。多分何も知らない人を巻き込んできっと成功するのだろう。

その点に対してその場にいた私はそうか、そうなるのか、と事実を受け入れていた。多分数時間前の私は嫌だなと思っていただろう。その上で私は別のことを考えていた。これがWUGにとって最後のツアーのライブ。これまで沢山人間的に成長してきたよなあ、と。

 

どうやら周りの人が紫、紫と言っているかぎりだと指定された座席は紫に光らせることを彼らは想定してるのだろう。このケミカルライトも紫に光るのだろう。

WUGのために、大好きな人達のために他のワグナーたちはそれぞれの指定された推し色じゃない光を灯すのだろう。この企画に参加すれば私が嫌いな人達を喜ばせることになるのだろうか、とずっと考えてきたけれど、そういうものを一旦ほっぽりだして、好きな人のために一肌脱げる人間のほうが面白い。私はそっちの私のほうが好きになれるだろう。

ああそういえば、さっきずっと私のことを心配してくれていた彼は紫推しだった。WUGと、ワグナーのために私はたまたま虹の一つになるのだ。それは悪くない。私は席においてあったケミカルライトは折らずにカバンにしまって、ポケットに突っ込んだ2本目のワグナーブレードを紫に光らせてその時を待った。

そうして虹はできた。推し色をずっと振っている人もいただろうけど、私は見つけることが出来なかった。

よっぴーが一瞬声を詰まらせたのを見た。きっとあの子のことだろうから、知ってはいただろう。うまくいくかいかないかどうかなー!とか言ってたんじゃないだろうか。事情を知っている人、推し色を振りたかった人、同じように悩んだ人も結構な数その場にいたと思う。一瞬だけど、しがらみよりも愛が勝ってしまった人が多かったんだろう。

そうして虹のかたちに想いはつながった。人や感情や思想を乗り越えられる。その事を私自身が証明してしまった。思いの外きれいな虹だった。一瞬びっくりしたWUGちゃんの顔と合わせて、その風景が私の心に虹をかけた瞬間だった。

 

アンコールは全力で叫んだ。1Fでアンコールもせずに周りに礼を言って回ってる黄推しが見えた。あれが企画者だったのかもしれない、なんか笑ってしまった。あなたへの嫌いな感情よりもWUGちゃんへの愛が勝ったからこの虹はできたんだぜ、と。

この虹はあなたが思ってるほど生半可なものじゃない。「あなたが作ったポートフォリオ」だとあなたは思うのかもしれない。でもそんな枠に収まらないほどこの虹はすごいものだ。だってあなたを大嫌いな人たちがあなた達に塩を送ることになってでも、WUGに花道を作りたいと願ったのだ。あなた達を嫌いなのはやっぱり嫌いなままだ。彼らはお金を出すだろうが、好きな気持では負けたくなかった。

3階から身内が色んな所に座ってるのを見つけてしまった。みんな全力で叫んでいた。だから私は叫ぶ、ここに来れなかった人の分まで。当日券チャレンジしたけどチケット、駄目だったよ。ごめんね。

煽りあいたかった分、会場で一番デカいと思う声で「Wake Up, Girls!」と叫ぶ。そうして声を枯らして喉を潰して、愛を叫びながら、会場内の声がどんどん大きくなっていくあのアンコールが好きだ。

やっとWUGちゃんが出てきてくれた時、後悔なく叫んで良かったってその瞬間を迎える。後悔のないライブだったから、ライブ後に知らないワグナーと褒め称えることができたんだと思う。こんなにも好きを優先できる人たちだったから。

なんだ、人間意外とおもしろくなれるじゃん、というかワグナーやるじゃん。そう思えて笑顔になった。あの虹は希望の光で出来ていたのだろう。だから私はライブが終わった後、泣かずにすんだのかもしれない。

勾当台公園のステージには誰もいない。

ライブ後、勾当台公園には、ワグナーがふらふらと集まっていった。私もその一人だった。スマホのバッテリーが切れかけてる同行者と道に迷いながらダテバイクでたどり着いたのは勾当台公園だった。

何となく、ステージに歩いていくと同じような考えのワグナーがたくさんいた。けれども、ステージを見上げるワグナーは誰もステージに立たなかった。みんなベンチでスマホいじったり話していた。異様な光景だったと思う。

同行者、熊本も道のりを共にしたワグナーは「いや、なんかいまは立っちゃダメでしょ…」と言っていた。そりゃそうだ。もう、あの子達は仙台でライブをすることはない。

現実で勾当台公園でライブしたのも1回だけだったけど、彼女たちが勾当台公園でライブをすることもないのだ。あの誰もいないステージは彼女たちだけの場所だ、少なくとも今日ぐらいは。そう思ったので、なんかラーメン食いに行こうと同行者に声をかけてステージに背を向け、歩き出した。

きれいな夜空だった。雲が少ない。そういえば、今夜は北斗七星は見えるだろうか。

仙台の光の中、勾当台公園の頭上でも北斗七星は控えめに輝いていた。そのことになんだか安心した。寂しくなったら夜空を見上げよう。その度にあの子達のことを思い出そう。忘れないために何度も何度も思い出そう。

吉岡茉祐と約束したのだ。忘れないって。

 

同じように夜空を見上げて、北斗七星を探してるオタクと出会ったらWUGの思い出話をしたい。


ここからは蛇足。

転売屋などについてぼかしていた部分を具体的にしました。

なお、ツイートの引用は規約に則って行われており、
特定個人の名誉を毀損する意図によって行うものではなく、資料として引用しました。
こちらの記事におけるツイートの引用に対して削除申請を行う場合は本人を騙ったいたずらでないことを確認できる本人確認書類、あるいは警察への出頭を証明できる内容の提出をお願いします。
それらの提出がされなかった場合、削除申請には応じない場合があります。
会場に居た証言可能な人物は多数おり、映像の記録がイベントスタッフによって行われています。暴行を行った者の皮膚片が付着していると見られる、暴行を受けた時着用していた衣服も当時の状態で保存してあります。

 

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