”にわか”なんて呪いの言葉に負けないでほしい。
”好き”を萎縮させる言葉なんて何の価値があるっていうんだ。
解釈が違うからなんだっていうんだ。
何かを表現できないからなんだっていうんだ。
かけたお金が少ないからってなんだっていうんだ。
推すことに費やした時間が違うからなんだっていうんだ。
好きな所と嫌いな所が同居してるからって、どうだっていうんだ。
”好き”は”好き”だ。
誰がなんと言おうと、誰に怒られても、誰に否定されても、
あなたの”好き”は”好き”のままでいたらいい。
推しや誰かに迷惑をかけたり、
誰かの協力が必要な”好き”の場合は他者を尊重する必要があるけれども。
誰かと”好き”の大きさを比べるなんて、ナンセンスだ。
そもそも並べるべきものではないし、
並べて誰かの”好き”より小さかったらその”好き”は取り下げるべきという世界なら、それはばかげている。
お互いにリスペクトする心だけあればいい。
同じ大きさの”好き”を持った人なら、ぜんぜん違う”好き”を持った人とお互い認め合うこともできるかもしれない。
誰かの”好き”を尊重することはあっても、誰かの”好き”を撤回させるようなことはくだらない。
そんな人にもし出会ってしまったら「うるせー!知らねー!」でいい。その場を荒立てないように黙ってやり過ごしたとしても、自分の”好き”を絶対に曲げるべきじゃない。
心の中では動物園の檻の中から汚物が投げられてきたくらいに思っておけばいい。
そんな何かに屈してはいけない。
良いと思ったならその考えを飲み込んで自分のものにしていけばいい。
大事なのは自分がその選択権を常に持っていることだ。
自分の心の指揮官は自分であれ。
自分の心を侵略者に明け渡してしまえば、
その時自分の”好き”を守るものはいなくなり、
心の奴隷が一人この世に生まれることになる。
それは生きてるって言えるのだろうか?
そんなわけない。
”好き”が言えない事は”嫌い”が言えないのと同じだ。
”嫌い”がないなら全てに迎合して、忖度して生きていくことになる。
そんなの生きてるうちに入らない。
”好き”を掲げて生きていけ。
どんなに小さな”好き”でもそれは本物だから
”好き”は生きる目的としては十分すぎるから、
何者にも邪魔されず、”好き”をやり遂げたらいい。
どんなに小さな”好き”でもいい。
その感情を誰かのせいで引っ込めないでほしい。
小さな”好き”も大きな”好き”も全部尊く大切なものだからだ。
”好き”に向かって命を燃やす生き方はたぶん色んな出会いを果たすはず。
そこで出会うものも大切にできるだろう。
何かを”好き”な自分を守っていけばいい。
それが自分を大事にすることにもつながるだろうから。
何があっても”好き”を叫ぶことは命がけだ。
だから、全力で守り通した”好き”はどんな大きさでも本物だ。
だから、オタクの”好き”は本物だ。
好きだと思う自分を貫き通して欲しい。
好きだよ、好きなんだ。そう言う為に僕はここにいる。
そんな一節がある曲に出会ってから私の人生がキラキラしだした。
何かを好きな自分を守ろうと思った。好きって言える自分を好きでいられるようになった。
リトル・チャレンジャーっていう曲です。
私はただの引きこもりオタクで、グッズも悩んで悩んで買わなくて、たまたまお金を持ってたら勢いで買う。
それでも、遠征も夜行バスで時々だけどする。
仙台や大阪、こないだ初めて自分で飛行機のチケット取って、熊本行った。
Google Mapでライブ会場とか、めし食った場所を保存しているんだけど
関東で引きこもりやってた自分がこんな外に出たんだってびっくりした。
実はWUGちゃんで行った場所、会場周辺なんかの訪れた場所(コンビニや会場やご飯食べたとこ)全部Googleマップで記録してるんだけど、
関東で引きこもりやってたの私がこんな外に出てったこと、世界が広がったことの証明写真になってて笑う
推しが世界を見せてくれた。 pic.twitter.com/m0aFwQ4H3D— 赤雪すずみ@エモ屋 (@ustes_ikes) January 29, 2019
推しに出会ってこんなに外の世界を見た。
推しが世界を開いてくれたんだと勝手に思っている。
ここまで出したワードで察してる方もいるかもしれない。
私の推しは解散します。
私の推しは、
2019年3月8日、さいたまスーパーアリーナでファイナルライブを行い解散する。
Wake Up, Girls(WUG)っていう、7人の声優アイドルユニットだ。
2011年3月11日。その後の東北を盛り上げるために結成された。
同名のアニメがあって、2014年に放映された。
彼女たちはそのアニメ内でも名前の読みが同じキャラクターの声優を担当してる。
それだけだったら、私はここまで推してない。
WUGはアニメの物語を背負ってるユニットとして最初は活動していた。
アニメから現実のライブへ繋がるいろんな仕掛け、ハイパーリンクと呼ばれるものがあった。
ハイパーリンクは確かにすごく面白くて、熱くて。アニメ再現だ!となる。
けどそれって予定調和なんだよ。
アニメはヤマカンこと山本寛氏が監督だった。プロジェクト自体ヤマカンが噛んでいる。
オーディションにも関わっていた。さまざまなこだわりが生み出した、ルールや世界観、演出は一部の人間には愛された。私もそっち側だ。
だが彼のアンチは多く、本編の作画クオリティの低さもありしばしば面白半分に叩かれた。アニメは売れなかった部類だ。それでも、劇場版>TV版>続劇場版(前編/後編)と、シリーズ作品が作られた。
それらの物語を背負いハイパーリンクという形で再現、再演していた声優ユニットWUGは、少しずつ予定調和の存在を外れていく。
アニメWUGの外側で彼女たちは活動し、個人でも声優としてアニメの出演やイベントへの参加をしていった。彼女たちそのものを見てくれるファンが増えていった。
だが、アニメWUGの物語は続劇場版(前編/後編)で一旦止まってしまった。
それからWUGはアニメWUGの曲ではない、アニメタイアップ曲(僕らのフロンティア/灼熱の卓球娘、恋で?愛で?暴君です!/恋愛暴君、Wake Up, May’n!としてOne In A Billion/異世界食堂)を歌う事を発表した。
WUGが予定調和の存在から完全に外れ、自身の道へ歩き出した瞬間だった。
それまで何度もライブを重ねてきた。その度に物語を紡いできた。
昼の部、夜の部と1会場2回公演が普通のWUGだが、どれ一つとしてファンが同じ感想のライブはなかった。
WUGのライブは、生き物で、生きていて、生そのものだった。
セットリストは一部しか変わらない事が多かったにもかかわらず、昼公演と夜公演の両方を見るファンが、ほとんどだった。
1公演ごとに成長していくWUGを、ファンの誰もが見逃したくなかった。
ファンは数こそ多くはなかったが、太い客が多かった。
WUGで初めて声優のライブコンテンツに来るようになった人もいた。
ラブライブ!におけるμ’sに似た何かを感じている人。
ラブライブ!サンシャイン!!のAqoursに似ていると言う人。
アイドルマスターから来た人はアイマスに似ている、と言った。
ファンが見たいように見る、と書いてしまえば雑だが、
ファンそれぞれが求める物語を持っている、と言うことができる。
ファンが見てきたコンテンツも、持っている価値観も違う。
だからそれぞれが受け取りたいように受け取ることができてしまう。
結果としてWUGの物語はファンであるワグナーの数だけ存在する。
WUGの物語という虹、その一箇所を受け取るのだ。
けれどもその物語は全て虹の一箇所であり、つながっている。
WUGはそれぞれ違う物語を受け取ったワグナーを全力で愛してくれている。
WUGは常に逆境に対峙しつづける挑戦者であり、魔法のような物語を持っている。
誰かが仕組んだ予定調和の上から降りた声優ユニットWUGという存在は生きているのだ。
WUGとワグナー同士の”好き”という命の音が、WUGのライブ会場にはあふれている。
だから私はWUGを推していて、WUGが好きなのです。
「リトル・チャレンジャー」は私に”好き”をくれた曲です。
アニメWUGに登場するI-1clubの曲なんだけど、とても重要なポジションの曲です。
2019年3月8日、さいたまスーパーアリーナで開催されるWUG最後のライブ。
Wake Up, Girls! FINAL LIVE 〜想い出のパレード〜 。
もしかしたら歌ってくれるんじゃないかと思ってます。良かったら聞きに来て下さい。
小さい”好き”でも大丈夫です。
ファンはみんなチケットを取っています。あなたの参加が古いファンの邪魔になることはありません。
これが最初で最後のWUGライブ参加になってもいいと思います。
きっと誰にでも物語を渡してくれるのがWUGです。
あなたの”好き”を本物だって証明してくれるはず。
3月8日は金曜日ですが、さいたま新都心でお待ちしてます。
今からWUGを楽しむ方法です。
オタク1700万人、の出典
2030年「オタク人口比率40%」へ!? | アナリストeyes | ニュース・トピックス | 市場調査とマーケティングの矢野経済研究所矢野経済研究所のアナリストeyesです。