匿名について思う ~シコウノトウギジョウ01~

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「シコウノラボ」さんの動画やブログの記事を受け、勝手に思ったことをつらつらと書いていこうと思います。
※本記事は学術的な論文などを目指しているわけではなく、ここで述べられる内容の根拠は自身の経験や主観によるものです。

 

 

匿名のメリット

 

ネット上の某巨大掲示板の書き込みやネットニュースへのコメントなどネット上では匿名の情報発信が多く見られる。こういった場所に本名を出して書き込む、ということに強い拒否感を持つ人がほとんどだろう。実際に匿名が当然、とされている場所に本名(と思わしき名前)で書き込んでいる人はまず見ない。
それはなぜかをまず考えてみると、匿名で情報発信をするメリットが見えてくる。

  • ネット上で情報発信をした際、その内容が問題を引き起こしたとき、現実での生活に影響が出ない。
  • 誤った情報発信をしてしまったとしても責任を取る必要がない。(警察沙汰になればその限りではない)
  • 匿名であるため、今までの発信した情報、これから発信するだろう情報との関連性・連続性がない。
  • 発信した情報に問題なくとも、世の中には因縁をつけてくる人がいるので安全を確保できる。
  • 自身が現実社会で持つ属性(年齢、性別、国籍、職業など)を考慮せずに情報発信ができる。
  • 群衆の声を演出できる。

これ以外にも多くのメリットがあると思う。では、逆に匿名によるデメリットはどれぐらいあるだろうか。

  • 専門性が高い内容のため、書き込んだ情報を信用してもらえない。
  • 流行語になる書き込みをしたが、自身が起源であることを証明できない。

私はこれぐらいしか思いつかなかったが、このように並べてみれば匿名での情報発信はメリットが多く、わざわざ本名を出して情報発信をすることにメリットはあまりないことがわかる。本名を出したとしても、周りがそれを本名だと思うかどうかは定かではないし、著名人が自身の芸名などで書き込みを行ったところで「なりすまし」と思われるだけだろう。

また、ネット上の書き込みに限らずとも、例えば新聞の読者投稿などを見ても本名を出していない投稿は多くある。ラジオやテレビ番組への投稿なども同様だ。つまり、顔と顔を合わせないコミュニケーションや発信者側に連続性(発信したログが残るなど)がないコミュニケーションにおいては匿名が常識となっている。
匿名のメリットを意識しているのか、それともみんなが本名を使わないから、なのかは定かではないが、このことから本名は顔や肉体、SNSにおいては「アカウント」と「ハンドルネーム」がセットで使用されるのではないか。

 

そもそも「名前」はなぜ必要なのか

 

では、名前はなぜ必要なのだろうか。
日本に限らず、人は生まれたときに親から名前を授かる。もちろん、成長に伴い名前が変わることもあるが、おそらく名前がない人はいないだろう。多くの人はそんなの当たり前のことだと切り捨てるだろうが、物事にはやはり何かしらの理由があるはずだ。

例えば犬や猫などの動物を飼育している人は、飼育している動物に何かしらの名前をつけると思う。それはなぜだろうと考えると、自身が飼育している動物と、それ以外を区別するために名前をつけるのだと思う。人の名前も動物の名前と同じく、我が子を明確に識別するために名前が必要になる。

人や動物を例に挙げたが、「名前」とは、特定の個体を識別すると同時に、「それ」と「それ以外」を明確に区別するためのツールなのではないか。例えば、「千葉県」と「千葉県以外」、「日本」と「日本以外」などなど例を挙げればいくらでもある。

このように考えると、顔と顔を合わせたコミュニケーションや、ゲームやサービス上の「アバター」、SNSの「アカウント」を使ったコミュニケーションなど誰が情報発信をしたかが明確になるコミュニケーションでは「名前」や「ハンドルネーム」が必要となるのだと思う。

しかし、匿名であれば特定の個人を識別されることもないし、自身の持つ属性の影響を受けることもない。過去の発言と比較されることもない。そこに魅力を感じる人も多いのではないか。

 

匿名の魅力

 

匿名の一番の魅力は、一貫性なく発言できることだと思う。

現実社会では、この前言ったことと今言ったことが食い違うと、大抵批判を受ける。意見を変えるときには、「この前はこのような状態だったからあのようなことを言ったが、あれは誤っていた」そのような言葉を添えたとしても、以前の私のセリフはどうしてもついて回る。
それが特に顕著なのは政治家だろう。政治というのはその時々により求められることが異なる。しかし、数年前に言っていたことと、現在言っていることが異なると批判を浴びることとなる。

あまり愉快な例ではないが、2020年に入ってからのコロナウイルスの危機を味わっている今の私と、このような危機を知らない私とでは当然発言は変わるだろう。

意見や考えなどは置かれている状況などにより変わることが私は当たり前だと思うが、世の中や周りの人々は寛容ではない。
だからこそ、自信や確信はないがちょっともの申したい、そんなときに匿名で気楽で書き込むことに快楽を感じる人がいるのではないか。

 

終わりに

 

私自身、匿名で情報発信をした経験が記憶の限りではない。某ネット上の巨大掲示板に匿名、コテハン問わず書き込んだことはないし、新聞やテレビ番組などへの投稿も行ったことはない。

そして、Twitterや記事を寄稿している『トキノドロップ』では、こちらの記事の名義と同じ「大木佳章」というハンドルネームを使っている。このハンドルネームは私の本名とある人の名前を組み合わせたもので、実社会の私をよく知る人であれば、おそらく特定ができる。このハンドルネームを使う前も、ある地名と自身の本名を組み合わせた漢字四文字の実在しそうなハンドルネームを使っていたような人間だ。
私を詳しく知る人であれば、ハンドルネームから私を見つけてほしい、という意識が多分、あるのだと思う。このような思いが強い人間のため、匿名で情報発信する人の気持ちはおそらくわからない。そのため、ここまで読んでいただいた人の多くは「わかってないな」と思うかもしれない。

そう思い、お時間があるのであれば、ぜひあなたの考えを文字でもいいし、動画でもいい、マンガでもいいし、音楽でもいいと思う。ぜひ表現してほしいと思う。その表現に自身の本名を添えてもいいし、匿名でもいい。もちろん、ハンドルネームやペンネームだっていい。

私は物事に対して色々な考え方があることをただただ知りたい。私が思いつかないような考えに触れ、「そういう考えもあるのか」と手を打ちたいし、近しい考えであれば共感したい。「良い悪い」など排して意見交換をしたいと思っている。

コメントお待ちしております。

 

 

 

以前書いた記事はこちら。