落談と船場言葉で皆を笑顔に/Mint氏インタビュー/乾杯TALK SONG BOXイベントレポ

取材記事
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初の取材記事です。なかなか出来ない体験を「乾杯TALK SONG BOX」でしてきました。

 

 

下北沢で営業中の、カレードリアが美味しいと評判のカフェバー『ARKBOX』。

『ARKBOX』では多岐に渡るジャンルのイベントが開催されているのだが、
現在、月終わりの水曜日にお笑いライブイベント『乾杯TALK SONG BOX』が開催されている。

この『乾杯TALK SONG BOX』のキャスト、Mint氏より是非来ていただいて取材して欲しいという依頼がTwitterのダイレクトメッセージで届いた。

私(赤雪すずみ)はこちらのお店とのご縁がある。それもあってちょくちょくお茶をしに行っている。

せっかくなのでこれも何かのご縁、ということでまずはイベントに参加、取材をすることにした。

名物のカレードリアは注文を受けてからオーブンで焼いて提供される。インパクト大。

 

 

 

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イベントレポート:『乾杯TALK SONG BOX』

 

 

参加キャスト:

竹井輝彦(お笑いタレント)

Mint(落談家)

加藤洋一(ギタリスト)

 

『ARKBOX』店内で入場料に含まれるワンドリンクを注文して開始時刻を待つ。

Mint氏があいさつをすると、お笑い芸人の竹井輝彦氏がギタリストの加藤洋一氏と登場。

最初に披露されたのは「今日から俺は!!」の主題歌にもなった「男の勲章」だ。

黒の革ジャン姿でアコースティックギターと共に歌う竹井輝彦氏。

お笑いライブを見るのは私にとって今回が初めてだったのだが、

竹井氏、めちゃくちゃ歌がうまい。

お笑いタレントってこんなことまでするの!?と驚かされる。

漫談に近いスタイルでのトークで笑いを奪ったかと思えば、年末忘年会シーズンということもあり涙腺を刺激するようないい話が飛び出す。

歌われるのは「男の勲章」1曲にとどまらず、「男の勲章」の後日談となる「大人の勲章」や、アコースティックギターによる「U.S.A」、歌ネタを仕込んでの「U.S.A」なども歌われた。

 

Mint氏は「落談」というスタイルでの話芸を披露。

落語と漫談のミックスを想像してもらえるとわかりやすいと思う。

持ちネタや書き下ろしネタを含め4本が披露された。ほとんど大阪弁であるが聞き取りやすく、一人スタイルでの話芸ではあるが登場人物は複数人、というネタでの演じ分けに気迫を感じた。

 

歌が終わるとMint氏が登場してネタを披露、その後竹井氏、加藤氏が歌い…という流れの構成を繰り返し、ライブは終了。

 

おそらくここで普通のお笑いライブイベントなら、フリースタイルのお笑いライブだという感想を持って終わってしまうのだと思う。
だがしかし、『乾杯TALK SONG BOX』では演者とドリンクを飲みながらあれがよかった、これはこうしたほうがいいね、という話をすることができるのだ。

 

Mint氏へ向けた竹井氏の愛情、お笑いへの情熱や観察力を感じるトークは他の場所でも通じる深さがあり、それを真剣に聞くMint氏の目には向上心がみなぎっている。どこまでも真剣だった。

ライブそのものはものすごく荒削りな印象だったが、このアフタートークと言えばいいのだろうか、この場に参加している誰もが主体的に動いているように見えた。

竹井氏の「お笑いでは嘘ついたらあかんねん、その瞬間に客は心を閉ざしてしまう。リアルさが必要なんや」という言葉には、客である自分はお笑いもやらないけれど文章を書く上で大事なことのような気がした。

 

他人事と思って話を聞けないのだ。経験につなげて勉強になるような、そんな話が飛び交う。

そういう意味でこのライブイベントはものすごくギラギラしていて、成長を見守る側のような目線でありながら、客である自分たちも成長していけるようなパワーを感じた。

こういったイベントはなかなかないのではないか…と思う。

 

今回よりも次、次よりもその次。

毎度パワーアップしていくであろうし、継続して見に来ることでさらに魅力を感じることが出来るライブイベントだと感じた。

 

『乾杯TALK SONG BOX』は2019/1/30に次回開催が決まっている。

開催場所はもちろん下北沢ARKBOXだ。

ご興味の湧いた方はぜひ参加して欲しい。

当日ふらっと向かっても途中参加が可能だ。

 

 

 

2018年末の『乾杯TALK SONG BOX』に参加後、Mint氏にインタビューを行った。

 

実は名前がついてデビューしてから5ヶ月というMint氏。異例の速さで自分の舞台というべきステージを手に入れたMint氏が、どうして芸人の道を選んだのか、聞いてみたのでこのままスクロールしてもらえれば幸いだ。

 

Mint氏インタビュー

 

 

この道を目指したきっかけ

 

―何故芸人の道を選ばれたのでしょうか。

 

お笑いで人を楽しい気持ちにしたかったんです。2013年頃、東日本大震災で被災した福島南相馬へボランティアに行ったんです。避難された方たちが帰ってこれるように、住宅の環境整備や清掃。経験のないチェーンソーで芝刈りをしてました。そのあと、仮設住宅を見に行ったんです。

そこでボランティアに来ていたおじさんが面白い事を喋ったんですよ。
そうしたら被災者の方が笑顔になった。
それを見たのがお笑いをやってみたいと初めて思ったきっかけですね。

 

昔から老け顔というのを周りに言われて育ったんですが、そこにコンプレックスがあります。それでも大丈夫だと、居場所があるのを示したかったのも理由です。

色んなコンプレックスを持った人がお笑いの世界にいるんだ、と思ってもらえたらと。

 

 

―この道を選んだのは自分のために、ではないのですね。

 

 

誰かを笑顔にするために、ですね!(笑)

お笑いって体を張った芸が多くて、女性芸人だと特にそういう傾向があります。

体を張るのが泥臭く感じてて、性的なもの、下品なネタもあって。

それに不快感を感じる人もいる。そうじゃなくて笑わせられるものを作りたいんです。

キャラクターにとらわれないように、あらゆる年代の人が出てくるネタを作っています。

年代や性別を取っ払っていきたいんですよ。

 

「こうじゃないといけない」に負けたくない。そのために性別不詳、年齢不詳でやらせてもらってます。

そういう想いがあるので、自分で書いたストーリーで笑わせたかったんです。

これは課題なんですが、どういった人間でも、みんなに笑ってもらえることができる、そういったものにしたいです。

セットが必要な芸はたくさんありますが、話芸だったら自分の身ひとつでどこでもできる。

だからコントではなく話芸というジャンルを選びました。その上でピンの話芸にいったのもマイペースなほうなので、気を使ってしまうと思ったのも理由ですね。

 

上京、竹井さんとの出会いから”Mint”になるまで

 

話芸をやるにあたって、養成所経由で事務所に入るのか、どこかの弟子になるのか迷ったんですよ。落語を学ぶことで話芸の基礎を自分で習得したかったんです。

そこで養成所ではなく落語家の弟子になる道を選びました。上京して東京の落語家の弟子に行くか、大阪で弟子入りするか考えた結果、上品なのをやるなら東京だろうと決め、上京しました。

繊細な話芸をする師匠のもとに弟子入りさせてもらって。1年くらいバイトしつつ修行をさせてもらいました。

師匠の落語会についていったりしたのですが、私は落語ではなくストーリーを作るのを前提にしていたから色物扱いでしたね。

 

 

―伝統的な演目をやる落語の中だと異色ですね。

 

 

2年目に、自分でやれる場所を探しなさいと言われたんですね。その時かたっぱしから参加可能なライブを探して、応募したんです。「下北沢ミネルヴァ呼び込みお笑いライブ」というのが一番最初に出たフリーエントリーライブですね。

(※フリーエントリーライブ=演者として誰でも参加できるライブ)

このライブが竹井さん主催でした。そこでご縁ができました。

落語家の師匠から「ブリッジを入れた漫談をやれ」と。(※ブリッジ=ネタ内で細かくオチを付けること。)でも、どうしてもストーリー仕立てでやりたかったんです。

自分の意思を貫くことにして、ブリッジのないストーリーのある話芸ばかりやってました。それでもやりたいことを捨てたほうがいいのかなとずっと悩んでいました。

 

竹井さんが「下北沢ミネルヴァ呼び込みお笑いライブ」の告知をツイートでしているのですが、その時芸人さんの名前の横にジャンルをつけるんです。

 

ある日、私の名前の横に「落談」とつけていたんです。

何も言われずにですよ。ああ、自分のジャンルはこれでいいんだと。

漫談じゃなくていいんだ、自分のやりたいことを貫いていいんだと思いました。

その時、凄く救われましたね。

そして、竹井さんが「長い噺だと創作落語と一緒やん、5分以内に縮めろ」と言いました。これで落談のベースが生まれたのです。

 

竹井さんは真剣に、平等に色んな人を育てようとしている人なんだとその時強く感じました。

フリーの芸人さんもライブに参加している人たちの中にいて、その人達にもしっかり教えていたんです。

私みたいな修行している身の人にもアドバイスしてくれて、「平等に教えてくれるいい人やな…!」と感動しました。

 

落語界の中でも新しいものをやろうという動きはあるのですが、私が入ったのは伝統を重んじるところだったので、私のやることに首をかしげる方もいました。

「なんちゅう弟子をつけたんや」と師匠が言われているのも知っていて…。

竹井さんのアドバイスがすごく身になっていました。

修行している見習いの身で1年修行しただけで、やっぱり色々教えてもらわないといけない。

悩みに悩んで、5月のゴールデンウィークの時期にけじめをつけようと思ったんですね。

 

その頃、「下北沢ミネルヴァ呼び込みお笑いライブ」で演者が集まらず、竹井さん一人の時があったんです。

呼び込み手伝うので勉強させてほしいとお願いして、そこで見た竹井さんのステージが、一人でネタ書いてやってる話芸で、オリジナルで作ったストーリーを話芸だけで、その場にリアルな映像が浮かんで来るように伝えていて。

 

竹井さんのやっていることが、自分のやりたいことだったんです。

その師匠はどこにもいないと思ってたんですが、目の前にいました。

不義理になるのは大変申し訳なかったんですが、落語家の師匠の元にいても迷惑になる。

「ついていきたいひとはここにいはる」と思って、はらくくって抜けました。

 

そこで竹井さんに「名前を付けてください」とお願いをしたんですね。

一生どんなことがあってもついていこうと思って、そういう覚悟でお願いしました。

しばらくお願いをし続けて、2018年7月30日に竹井さんから名前を頂いて、芸人としての活動ができるようにさせてもらいました。

 

どの落語家の弟子につくのか、と悩んでいたときは相手がどういう人で、どういう性質かをそんなに知らなかったんです。

「下北沢ミネルヴァ呼び込みお笑いライブ」でアドバイスをもらって、ステージも見た時に本質的なものを感じました。

今思えばあの時自分の生き方を選び直したんですね。

自分のやりたいことがそこで見つかった、ついていくべき人を見つけられた瞬間ですね(笑)

師弟関係は一生続くものです。竹井さんとは本当の師弟関係になりたいんですけど、竹井さんが弟子としては…というので、いつか弟子にしていただけたら、迎えてくれたら…と思っています。

 

 

『乾杯TALK SONG BOX』にたどり着くまで

 

その頃、たけし軍団のシェパード太郎さんのお手伝いをしてました。

 

バイトせずに、月1でライブを打つ。集客も自分でやって、自分を育てる…ということをやってる方です。自分もこうならないといかんなと。最初はお客さんも0かもしれないけど、長くやっていくうちに自分自身のレベルを上げることにもつながるんじゃないかと。

 

私がTwitter初めてすぐ、シェパードさんからライブを見に来ないかとダイレクトメッセージが来たんです。

「芸人が他の芸人のライブを見に行くというのは芸を盗みに来たと思われる。だからやめなさい」と昔言われていました。「芸人が見に行っていいんだ!」とその時価値観が変わりましたね。

少しずつシェパードさんはお客さんを集めていって、成功していきました。

 

自分も「成長していかないといけないな」と思ってたんですが、なにも言ってないのに、感じ取ってくださったのでしょうか?

ある日突然、竹井さんが「やるんやったら手伝うで」と言ってくれたんです。

 

 

―その言葉に後押しされたんですね。

 

 

バイトに追われて趣味芸人になってしまう人も見てきました。

シェパードさんみたいに、生活はしんどくなるかもしれないけど、自分を追い込んだら何かが変わる気がしたんです。

これも口に出さず考えてたんですが、「シェパードさんのあれすごいねえ」と竹井さんが言ってくれて。

バイトは10月いっぱいでやめて、やろう!と思いたって『ARKBOX』にたどり着きました。

 

 

師弟関係は血よりも濃い

 

 

竹井さんは師匠でもありお母さんでもある感じですね・・・。

間違ってることはちゃんと引き止めてくれる。ちゃんと見守ってくれている。

性別は違いますけどね…(笑)

お父さんじゃなくて、お母さんなんですよ。

 

芸人さんは控室でごちゃまぜに衣装を着替えすることが多いんです。

でも竹井さんはお母さんなので目の前でも着替えちゃえますね。

 

落語にしかない師弟みたいな制度が、色んなところであってもいいんじゃないかなと思うんですよ。

師匠というのは本当にマンツーマンで芸はもちろん、芸以外のことも教えてくれる。育ててもらえるのがとてもありがたいですね。

師弟は恋人や家族にも踏み込めないところの間柄だなと。

親子以上に親子、そういう感じでもあるから…。家族以上の存在かもしれません。

ドライな関係ではなくて、一生面倒見る覚悟を持たないとなれないものだと思います。

選んで師弟になるものだと思うんです。

 

 

―子供も親も、どこの子になるかどこの親になるかを選べませんからね。

 

 

名付け親、に関しても責任をすごく感じておられるはずで、それでも名付けてもらいました。付ける事を頼む側も、付ける側もすごく責任はあります。

名前を付けてもらう時、おまえミントっぽいな!って竹井さんに言われて。

生命力強いとか、さっぱりしてるとか明るそうとか、そういうイメージだったのでしょうか。「英語になったのもインパクトあるやろ!」ということでした。カタカナの芸人さんは多いけど、英語なら埋もれない、という話もあります。

 

名前は本当に重いと思っていて、こうしようか、と名乗る、師匠からもらう、と名前を付ける方法は色々ありますけど、どうしても重みが違います。

なので自分で名付けたくはなかったんです。

 

 

大阪弁 #船場言葉 との出会い

 

 

ネットのどこかで出会ったのが最初の出会いでした。大阪弁自体がなんばでつかってるのはそんなにどぎつくなくて、標準語でも通じる、デフォルメされてるんですよね。

大阪弁=汚いっていうイメージが全国的にあると思うんです。

 

それを船場言葉を通して変えていきたいんですよ。

船場言葉は今80代くらいの人もわからない、現代で使われなくなった古い言葉です。

これができるなら話芸の武器になるぞ!と考えて、独学で勉強しました。

 

現在、電撃G’sコミックで連載中の漫画「ホーキーベカコン」さんで船場言葉の監修をさせていただいたりと、今も武器になっています。

 

(※「ホーキーベカコン」は笹倉綾人先生(twitter@sasa_ayato)の漫画。
電撃G’sコミックで現在連載中。

谷崎潤一郎の「春琴抄」を原案としたストーリー。

明治時代の大阪を舞台に倒錯的で官能的な世界観が描かれる。)

 

 

自分もこれをやりたいと思える人に何人も出会えた

 

シェパードさん、そして、竹井さん。

いい出会いをこの時点でさせてもらえたのは本当にありがたいです。

 

これまで落語家の元で修行させていただいた2年は養成所の期間に相当すると考えています。

いま名前をもらって5ヶ月、人間の成長過程に例えればまだ赤ちゃんくらいですが、今からが勝負どころでもあると考えています。

芸歴の一般的な長さで言うと5年くらいキャリア積んでさあ単独だ、という感じで、それを5ヶ月でやっているのはすごく早いですね。

 

せっかくやれる場所をいただいたので、ハイペースで成長していけるように努力しています。

『乾杯TALK SONG BOX』に来た人が仕事終わりにでもまた来たいと言ってもらえるようにするのは私の技量が試される所だと思っていますので、来た人が全員ファンになってもらえるような地力を付けていきたいです。よろしくお願いします!

 

 

Twitter@Mint(落談家・船場言葉監修)

 

 

 

『乾杯TALK SONG BOX』

 

 

 

Twitter@ARKBOX

 

 

 

「ホーキーベカコン」は電撃G’sコミックで現在絶賛連載中。

Twitterでも読むことができます。

 

 

 

 

 

 

 

この記事を書いた人
赤雪すずみ

ユニーク過ぎてニッチを通り越した視点でコンテンツの浅瀬を飛び回る。
誰かの心に届く文章を書きたいと考えています。
涙腺の弱さはマンボウ並なので自滅泣きが多いのが弱点。
教科書は親の本棚の少女漫画。
WUGはまゆしぃ推し。

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