パンツに秘められた決意が私のアイドルアニメ観を破壊した話

アニメ
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これ以外に的確なタイトルは思いつかなかったのだ。

 

女の子のパンツと聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろう。

中身?スカートの中。かぶるもの。

素敵な連想をされる方は少なくないだろう。勿論、私もその一人である。

ちなみにパンツは「ぱんつ」と表記したい。そんなこだわりを持つただの変態だ。

 

そんな私が「Wake Up,Girls! 七人のアイドル」に出会った話を語らせて欲しい。

 

 

 

 

 

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アイドルものってきらきらしてると思ってた

 

私が「Wake Up Girls!」(以下WUGと表記)に出会ったのはごく最近である。

それまで、私はアイドルもののアニメを何一つ見たことがなかった。アイドルマスター然り、ラブライブ然り。

というのも、大変偏見で申し訳ないが、アイドルもののアニメに出てくる女の子たちは皆きらきらしているかわいいご都合主義の物語で、あと時々ちょっとエッチなシーンがある男性向きジャンルだと思い込んでいたからだ。

WUGを知った時は、これもきっとそういったお約束満載のアニメなのだろうと思っていた。

何も言わずにとりあえず見て欲しい。そう力説する友人の態度に何かを感じて鑑賞会が始まったのだ。

 

WUGは私のイメージしていたアイドルものとは全然違った。

 

はたして、WUGはアイドルものに分類してよいものなのか。

非常に特殊な作りをしており、主人公は見る人の視点や角度によって異なり、それぞれが中身の詰まった、時には重い物語を持っている。

 

これもWUGの大事な要素ではあるのだが、ここではあえて、私はパンツという視点からWUGを語りたい。パンツに夢を抱く、一人の変態として。

 

ぱんつとはアイドル(偶像)である(ここだけぱんつと表記させてほしい)

 

さて、本題に入る前に私の自己紹介をかねてぱんつへの嗜好を紹介したい。

 

私の名はいさなという。

ぱんつを入り口にWUGに入った変態初心者ワグナーだ。

 

これはあくまで私の好みの美学の話であるという点を踏まえて書かせていただくのだが、

 

私にとってのぱんつとは見えないからこその聖域である。絶対の領域である。

私はよく漫画やアニメであるような、転んでスカートめくれてパンツ見えちゃったーみたいなやつが嫌いだ。あれは美しくない。ちらっと見えるのも嫌だ。

ぱんつとは、見えないからこそ美しいのだと、私は思う。

 

スカートの中のファンタジー。

見えそうで見えないあの瞬間こそが芸術。

見えない、でもそこに確かに存在するもの。

それは心に想像を掻き立てる。

見えないという現実が、偶像を作り出す―すなわち、アイドルである。

(ドルオタの諸兄。石を投げないでいただきたい)

 

人はアイドルに夢を見る。

 

アイドル。それは親しい友人でも家族でもない。

 

オタクはアイドルの振る舞いやパフォーマンスに自分だけの意味を見出していく。

自分だけの意味を見出すからこその「アイドル(偶像)」なのだ。

 

見えないぱんつもまた、「見えないこと」により、そこにあなただけの意味を見出す。ひょっとしたらしまぱんかも。いちごのイラストつき?かぼちゃぱんつ?

いやもしかしたら履いてないかも…。

ぱんつは見えないことにより想像を掻き立てる。それが見えないぱんつのパフォーマンスなのだ。

 

ぱんつとは「見えないアイドル」。

それこそが、私がぱんつに求める美学である。

 

WUGのパンツに秘められた決意。

 

さて、パンツを通じて自己紹介したところでやっと本題に入る。前置きが長くなり申し訳ない。

パンツとはエロスである。見えないからこそアイドルとしての可能性を秘めるものである。

だが、それは1つの側面にすぎない。WUGにおいて、パンツは表に出ることにより新たな可能性を見せたのだ。

 

序盤から波乱続きのストーリー。WUGの所属する芸能事務所「Green Leaves」の社長が会社の金を持って逃げ出し、WUGがやるはずだったデビューライブはおじゃんになった。

社長が金を持ち出して逃げるとか、もうこの時点でストーリーが妙にリアルで重い。どうするんだと私ははらはらしながら展開を見守った。

メンバーは迷う。解散するしかないのか?初めてのデビュー曲、必死に練習した歌とダンスを披露できないまま。

悩んだ結果、彼女たちは一度だけでもいいからどんな形でもライブをする決意を固める。

WUGが何とか手に入れたライブ会場はクリスマスの野外ライブ。活動資金のないWUGにはライブ衣装すらなかった。

それでも、彼女らは「自分たちに出来る事をやろう」と、それぞれが通っている学校の制服でステージに立つ事を選ぶ。

 

彼女たちはスカートの下に、「見せパン」的なものを装備していなかった。パンツだった。極限の状況下を割り切ってステージに立つことを選んだ。

 

ライブシーンでは、躍動感あふれるダンスをするWUGのメンバーのパンツが一瞬映る。

それはエロスではなかった。私の嫌いなぱんちらでもなかった。

極限の状況の中でも「アイドルであろう」とする、WUGのメンバーの決意を感じさせるものだった。

間に合わせの学校の制服という衣装。激しいダンスの動作の中で、見せパンもない。練習を重ねてきたが、まだまだ初歩の歌とダンス。ステージは飛び込みで、デビュー用に用意されたものでもない。

だが、それでも彼女たちはあの飛び込みのステージで、確かにアイドルであることを貫き通した。

 

「アイドルであることを貫く」姿勢。それをメンバーがライブの中で、パンツが見えることもいとわずにステージで躍動するシーンを描くことで、表現して見せたのだ。

私はあのパンツに、WUGの「アイドルとしての姿勢」を見た。

それはちょっとエッチなシーンではなく、極限の状況の中でも今自分のできる最高のパフォーマンスをしようという、アイドルとしての矜持だった。

あのシーンは、私にとって「アイドル」という定義を変えた。それはあつらえられたステージで、専用の衣装を着て歌って踊ることではない。

どんな状況でもアイドルであろうとすることこそがアイドルであり、どんな服装でも、どんな舞台でも、アイドルであればアイドルなのだ。

私はアイドルの定義を更新すると共に、パンツを用いた表現の新たな可能性をWUGに垣間見た。

パンツは「見えること」によって、WUGの決意という意味を発現させたのである。

ここで見えたパンツは私の好きなアイドルとしてのぱんつではなかったかもしれない。だが、見えてしまう状況の羞恥を逆手に取り、メンバーがWUGでありたいという矜持と誇りを表現するという大役を果たしたのだ。

制作陣は、パンツを見せることによる、エロス以外の新たな表現の可能性を切り開いた。

パンツはWUG!七人のアイドルを象徴する一つのものである。そう力説したい。

今回はパンツに注目して「Wake Up Girls!」を語ってしまったが、それくらい私にとってあのアニメのパンツを用いた表現は斬新で、衝撃的だった。

Wake Up Girls!」では、前述した社長の会社の価値を持ち出しての失踪の他にも、様々な困難が描き出される。

壁にぶち当たる度、彼女たちは悩み、今できる自分なりの結論をだし、全力を尽くして、最善を追い求める。

彼女たちが得る「最善」、それは理想の形ではないかもしれないが、それでも彼女たちは、己やユニットが抱える問題と向き合いながら確実に前へと進んでいく。

 

WUG。中身の詰まったリアルなアニメを見たいという人にぜひ見てほしいアニメだ。

もし機会があれば、次はパンツではない視点からWUGを語りたい。

変態の文を最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

また変態として語りたくなったタイミングで寄稿させていただきます。その時はよろしくお願いします。

 

画像はWUG本編より引用させていただいています。

 

 

 

 

 

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